城下町に懐かしい昔の町名の標柱や 辻標などが
1977年(昭和52)に小林旭が歌う「昔の名前で出ています」
が大ヒットした。
名前といえば、いま城下町では昔の町名を見直す動きが活発で、
新潟県内のあちこちの城下町で町おこしの一環として標柱や
辻標などの設置が進められている。
標柱や辻標などに興味をもち城下町を散策し見てきた。
・城下町高田のQRコード付き辻標(つじしるべ)
15万石の城下町高田。
高田藩については、村山和夫著「シリーズ藩物語・高田藩」に書かれている。
高田藩は榊原家15万石の城下町として明治を迎えた。
城下町時代の旧町名を知ってもらおうと、上越青年会所が旧高田市の街中にQRコード付き町名表示柱「辻標」を25か所に設置した。
町名表示柱は1.5mの柱で旧町名とその由来が書かれている。
・上職人町 ・呉服町 ・両替町 ・桶屋町 ・大工町 ・下小町 ・長門町
などなど。
仲町4丁目の「桶屋町」の辻標は、町屋として市が管理する金津憲太郎桶店前に建てられている。
桶屋町は高田城下の町人町のほぼ中心部に近く位置する。
江戸時代中頃の記録では、町の長さは約134間(道を挟んだ両側を合わせ約240m)に対して家数は52軒。
町の大きさは高田城下では中くらい。
町の名前のとおり、江戸時代が始まって以後、桶職人がたくさん住んでいた町。
記録では、桶屋が49軒、籠屋が2軒。
・城下町三条のQRコード付き標柱
三条市では、中心市街地に残る37の小路にQRコード付き標柱を設置した。
旧中心市街地はかっての城下町の名残で町屋造りの建物が多く100以上の小路がある。
市では、小路の伝統文化をまち歩きに活用し、市民の健康増進と市街地の活性化を図ろうと、本町から一ノ門までの小路にQRコード付き標柱を設置した。
標柱は高さ1.5mでアルミ製で小路名と簡単な由来が書かれている。。
・新小路 ・唐紙屋小路 ・宮島小路 ・飴屋小路 ・赤壁屋小路 ・旧蔵小路
などなど。
・城下町村松の標柱
村松藩は掘家3万石の城下町として明治を迎えた。
村松郷土資料館には「村松城下図」が展示されている。
幕末の村松藩については、雲村俊慥著・越後村松藩の維新「小説・仙寿院裕子」に書かれている。
街中を歩くと藩政時代の街並が一部に残り、往時を偲ばせる通りには、その町名の由来などを記した標柱が建てられている。
・馬下 ・鍛治町 ・上町 ・馬場丁 ・御徒士丁 ・春日丁 ・寺町 ・仲町 ・下町
などなど。
・番外:旧新潟市の小路案内板と寺町解説板
新潟町の町並は江戸時代のはじめ、信濃川の左岸の新潟町は今より海岸より(現在の寄居町・旭町・大畑周辺)に位置していた(古新潟町)。
しかし、阿賀野川と信濃川が合流して湊が浅くなり使えなくなってきたため、川に近い場所へ町を移転、明暦元年(1655)にはその工事をほぼ完了した。
この時できたのが現在の新潟町。
町の移転以降、川と海から運ばれてきた荷物を運搬・取引するため、信濃川の流れに沿うように南北方向に寺町堀(西堀)・片原堀(東堀)とその間に「通り」が設けられ、「堀」と「通り」に直交する東西方向に5本の「横堀」と多くの「小路」が設けられた。
新潟市街づくり推進課では町おこしの一環として、
・新潟の町小路めぐりマップの作成と「小路案内板」の設置
・西堀通りに点在するお寺の成り立ちをなどを紹介する「寺町解説板」の設置
などを行っている。
マップを片手に標柱や辻標や小路案内板や寺町解説板などを見ながら城下町や新潟町を散策するのも楽し。
懐かしい昔の町名に思わず (イラストを模写)