瓦の町「やすだ瓦ロードコース」を歩く

kanazu362011-04-25

新潟県阿賀野市の名産「安田瓦」をアピールする「やすだ瓦ロード
コース」が同市安田区に整備され完成したと新聞に出ており、瓦
の町を4月23日歩いた。
瓦ロードは国道290号線から市道に入る。
町に入ると道路の所々に「やすだ瓦ロード庵地焼・安田焼」の案内板が出ており、案内板を頼りにコースを散策することができる。
・安田瓦の歴史
 安田瓦は天保年間(1830)から生産されたと云い伝えられ、一般商品として生産されたのは弘化4年(1843)から。
 明治に入って国内各地の師団増設、兵舎の増改築が高まり、弘前旭川師団や新発田兵営の屋根工事を請け負うなど、大量の注文を機に焼成の気運が高まり、安田瓦の真価が広く各地に認められ、官庁、学校等の公共物の需要によって栄えてきた。
 また、品質、強度、耐寒性にすぐれ、味わい深い鉄色の瓦は一般住宅・神社・仏閣の屋根を飾るにふさわしく、県内外の名刹に多く用いられてきた。
・「やすだ瓦ロードコース」
 ・ふれあいピット
  コースで最初に出会う広場が「ふれあいピット」
  土塀には瓦で五頭山描かれ、積まれた瓦の塔の上に鯱・鳩・蛙が乗っている。
 ・さんかくひろば
  コースほぼ真ん中に「さんかくひろば」がある。
  広さは約120平方メートルで瓦で作った花壇も設けれれている。
  4本の瓦の柱が頂上で一体化した高さは約4.3mのタワーがそびえる。
 ・瓦庭園
  瓦庭園は約1000枚の瓦で独特の曲線の美しさを生かし、土塀には安田名物の「だしの風」を現し、土間には阿賀野川の流れと時代の流れをイメージしている。
  土塀の前の小さな庭には、大きな鬼瓦が2体置かれている。
 ・安田瓦づくりのバス停
  安田瓦協同組合の近くの町営バス「庵地小路(丸三工業所前)バス停」は、安田瓦でつくられた珍しいバス停である。
  バス停は2008年5月に完成した。
  安田瓦がふんだんに使われた待合所は、安田瓦独特の銀色に輝く鉄色に覆われ、待合所の椅子は瓦を並べた上にござが敷かれた簡素のもの。
 ・里に帰った鬼瓦
  旧安田町庵地は安田瓦の産地で有名。
  戦前の1930年代に作られた鬼瓦が、燕市の寺から生産地の庵地に帰郷した。
  鬼瓦は高さと幅が2.4mほどで、1932年に庵地の「村久(むらきゅう)瓦工業」で焼かれたと推定される。
  鬼瓦は、燕市の専養寺に長年飾られていたが、落雷で破損したため2007年に取り外された。
  庵地の瓦職人斉藤慶和(33)さんが、「捨てるのは忍びない」と譲り受け修理した。
  鬼瓦は「魔よけ」とされるため、地元では、役目を終えた後にもう一度飾ること異論が出た。
  しかし、戦前の貴重な品であることから、安田瓦協同組合が「江戸時代から続く産地の歴史をPRできる」と組合の建物裏に設置場所を確保した。
 小高い山の上に安田瓦協同組合の建物がありその裏手の丘が整地され公園に。
 公園の一画に鉄骨を組んだ高さ1.3mほどの台座の上に鬼瓦が飾り付けられている。
 関係者によると、鬼は男女で対になっており、今回飾られたのは「女鬼」。
 一緒に取り外された「男鬼」は燕市の業者が保管しているという。
・番外:安田瓦職人と新潟県政記念館の安田瓦
 新潟市の動く市政教室で新潟県政記念館を見学した。
 その時、館長から安田瓦職人の面白い話を聞いた。
 県議会旧記事堂の屋根瓦の改修工事で「文明開花」と落書きのある瓦(安田瓦)が発見された。
 明治16年(1883)越後の片田舎保田町(現阿賀野市安田町)の瓦職人も「文明開化」という言葉を知っていたことに驚いた。
 それよりも瓦職人の遊び心かそれとも誤字か、文明開化の「化」を「花」と書いた。
 私は、誤字ではなく日本の文化が花のように次々と開くことを願い「化」を「花」に書き換えたと解釈したい。
 遊び心で「化」を「花」と書いた職人を絶賛したいと。
 落書きのある瓦は、新潟県政記念館の資料室に展示されている。
・番外:会津鶴ヶ城天守閣の赤瓦は安田瓦
 会津鶴ヶ城天守閣の瓦が黒瓦から赤瓦へ葺き替えられ3月27日オープンした。
 会津若松市は、現在の瓦の産地である、安田瓦(新潟県)、石州瓦(島根県)、三州瓦(愛知県)、大和瓦(奈良県)などに試作を依頼して、それぞれを分析、比較したところ、土の成分については、安田瓦が当時の瓦により近いものであることが分かり、復元瓦は、安田町で焼かれることになった。
町では、「瓦のまち」をPRするため近く「やすだ瓦ロード」散策マップを作製する計画だ。

名産の安田瓦で町をPR (イラストを模写)