長岡戦災資料館と長岡空襲体験画展
長岡市城内町にある「長岡戦災資料館」がリニューアルし5月1日
オープンした。
オープンの合わせ「長岡空襲体験画展」も開催されていたので
5月5日観てきた。
・長岡戦災資料館
会場表面には母子像「懐(おも)い」が飾られている。
母子像は平成17年建立された(堀田正作)。
解説には、「この母子像には、愛児や家族への想い、感謝の念、恒久平和の願などいろいろな想いが込められています」と書かれている。
太平洋戦争下の「茶の間」が再現されており、ラジオから昭和16年12月8日大本営発表の「臨時ニュース」が流れ、他にも「山本元帥国葬実況放送」なども聞ける。
・戦争下の国民の暮らし
・金属回収 ・学徒勤労動員 ・学童疎開
・米軍の日本本土空襲
・1945年(昭和20)3月10日東京大空襲(死者約8万8000人)
・1945年(昭和20)8月1日長岡空襲(死者1480人)
・焦土と化した長岡空襲
・写真と空襲後の市街地の部分模型
・防火用具の三種の神器(防火水槽・バケツ・火叩き)
・昭和21年度採用「海軍志願兵」徴募のポスター(海軍省)
・小学校制服 ・モンペ ・国民服
・米つき棒と簡易精白器(一升ビンの中に玄米を入れて米つき棒でコメをつく、3合の玄米が2時間ほどで7分くらいの白米になる)
などなど。
資料を見て昭和20年7月20日午前8時13分、長岡市左近町(当時は上組村大字左近)の畑に1発の模擬原子爆弾が投下されてのを初めて知った。
・長岡空襲体験画展
1945年(昭和20)8月1日長岡空襲の被害を伝える「長岡空襲体験画(油絵)」24点が会場に飾られている。
・鉄工場が燃え崩れる(愛宕町) ・黒地の日の丸(長岡上空から見た)
・生命と家を守ってくれたプラタナス(宮内) ・水道タンク
・三年土手に逃げろ(栖吉川三年土手) ・赤い月(長岡市) ・空
・焼夷弾を避け踏み越えて(千手横) ・B29が来た長岡 ・長岡駅
・平潟神社忠魂碑下の合同火葬(平潟神社境内)
などなど。
終戦当時私は5歳だった。
防火水槽が家の前にあったので覚えている。
防火水槽は終戦後、川で捕まえたメダカやフナを入れる水槽に変わった。
米つき棒も母がコメを醤油ビンに入れついていたのを記憶している。
戦災資料を見て遠い昔の記憶がおぼろげに甦った。
これが簡易精白器(米つき棒と一升ビン)(イラストを模写)