小学校卒業文集復刻版の完成と恩師の訃報
時間との戦い。
神が時を与えてくれた運命の時間に感謝。
恩師の高齢者叙勲が決まり、記念として60年ぶりに
小学校卒業文集“松“復刻版を発行することを決めた。
恩師が完成した復刻版を読み「再び“松”」を手にして感無量つい一筆を走らせましたと手紙が届いた。
それから1週間後、恩師の訃報が届いた。
「再び“松”」を手にして感無量の手紙が恩師の絶筆となった。
・小学校卒業文集「松」の復刻版発行を決める
恩師の叙勲受章の発表だあったのが4月27日。
小学校卒業文集「松」の復刻版発行を決めたのが5月18日。
原本探しに奔走した。
住所録からクラスの人たちに電話した。
結婚・転勤・新築などで住居が変わり文集を保存している人は一人もいなかった。
幸いにも恩師が保管しており許可を得てお借りした。
5月21日恩師から小学校卒業文集「松」が届いた。
・パソコンへの原文の入力
1週間かけ5月27日に復刻版を完成させた。
復刻版には、文集原本のほかに恩師が同級会時に配布した「追憶」「今は昔」の中に掲載されていた思い出の写真などを追加した。
復刻版は表紙を含め58ページとなった。
・復刻版の発送
5月28日文集復刻版は、住所のわかる恩師・クラスの仲間(43人)に郵送した。
・恩師から「再び“松”」を手にして感無量の手紙が届く
6月2日、恩師から「再び“松”」を手にして感無量つい一筆を走らせましたと手紙が届いた。
手紙の中に文集発行の経緯が書かれている。
「あの日第二学期のすべての学習予定が終ろうとしていた日でした。昭和27年12月24日の午後のこと・・・・。クラス代表の12・3名が、“私たちの手で卒業文集”を作りたいです。先生はいそがしいので私たちだけで作る一生の記念になります。思いで作りになります」と文集作成の要望があった。
先生の許可がおり、代表の人たちが三学期こつこつこつこつ仕事を進め完成させた。
全く教師の手を得ずし「松」はできましたと。
・クラス仲間の反響
復刻版を読んだクラス仲間から電話や手紙で反響が届いた。
・自分の文章から読みました ・あんなこと書いた記憶はありません・・・
・今の子どもたちにはあんな文章は書けません ・懐かしく友の文章を読みました
・最後のページに先生の元気な写真を入れていただき感謝
などなど。
・恩師の訃報と叙勲
恩師からお礼の手紙が届いた1週間後の6月9日帰らぬ人となった。
同級生代表は弔辞の中で「先生は文集を持って天国に召されました。天国で先に逝った教え子たちと文集を囲んで思い出話に花をさかせることでしょう・・・」と。
祭壇には死の直前に届いた叙勲が飾られている。
叙勲が届くまでは生きているといっていた恩師。
叙勲が届いたのが9日の午前で、亡くなったのがその日の午後。
これも運命のいたずらか。
生前に叙勲を見たかはどうかは、故人以外誰も知らない。
・恩師の絶筆をコピーで送る
6月5日、恩師からの「感無量つい一筆を走らせました」の手紙(コピー)をクラス仲間全員に送り、文集末尾に追加するようお願いした。
恩師の訃報を知り、仲間からは「あの手紙が絶筆になりましたね」と。
時間との戦い。
小学校卒業文集“松“復刻版が、恩師の生前中に発行できてよかった。
神が時を与えてくれた運命の時間に感謝する。
恩師の訃報を知る (イラストを模写)