新潟市北区のお宝ものがたり展と高森の丘周辺を散策
新潟市北区の北区郷土博物館で「お宝ものがたり展」が
開催されていると知り見てきた。
会場には、北区の「お宝マップ」のパンプレットが置かれている。
お宝マップに高森の丘が紹介されていたので高森の丘付近を
散策した。
・新潟市北区のお宝ものがたり展(新潟市北区:北区郷土博物館・6月17日)
会場には「考古資料」「古文書・絵図」「歴史資料」「工芸(太丘焼)」「有形民俗文化財」「建造物」「天然記念物」「無形民俗文化財」のコーナーに分けられ、北区のお宝ものなどが飾られている。
・古文書・絵図では佐藤家や倉島家の文書や下興野新田絵図が
・歴史資料では北辰隊関係資料が
・工芸(太丘焼)では北区太子堂で生産された陶磁器が
・有形民俗文化財では福島潟民俗資料が
・天然記念物では高森の大ケヤキが
などが展示されている。
・北区の高森の丘周辺を散策(新潟市北区高森・6月17日)
高森の丘は新潟市北区高森にある。
阿賀野川右岸にあって標高17.6mの独立した丘。
頂上には薬師堂が、中腹には稲荷神社が祀られている。
薬師堂境内左側に脇に展望台があり、展望台から眼下の町並と阿賀野川を眺めた。
高森の丘には、薬師堂・薬師山の碑・稲荷神社があり新潟県指定天然記念物の高森の大ケヤキがそびえる。
・稲荷神社
養老元年(717)の創建と伝えられる。
現在の社殿は万延元年(1860)に建立されたものであると伝えられる。
・高森薬師堂
695年の持統天皇の時代、唐の高僧良元が日本へ渡来の途中に大暴風雨にあってこの地に流れつき、助かったのは日頃信じ尊ぶ薬師如来のおかげだとこの地に薬師如来を安置したのが始まりなどの言い伝えがある。
奈良時代から平安時代初期に大いに繁栄し、大小36の寺坊と3000人の僧が生活していたといわれる。
その後、幾度かの隆盛を繰り返したが、宝永元年(1704)、京都の仏師辰巳内蔵助に依頼し翌1705年薬師如来を納めてお堂を再興した。
現在のお堂は、昭和48年(1973)10月の火災で焼失後、翌1974年に再建された。
・薬師山の碑
高森薬師堂境内に「薬師山の碑」が建つ。
「薬師山」とは、岡方地方のアマチュア相撲で代々受け継がれた四股名(しこな)。
この碑は、3代薬師山として20年連続国体に出場した野村俊雄氏が奉納した歴代薬師山の顕彰碑。
・高森の大ケヤキ(新潟県指定天然記念物)
稲荷神社本殿の左側に大ケヤキがそびえる。
大ケヤキは、枝が折れないよう無数の鉄の柱で支えられている。
・推定樹齢:1200年 ・根回り:12,4m ・目通りの回り:10m ・高さ:20m
大ケヤキは、高齢化が進み幹や枝が空洞化して折れやすくなっている。
1987年から2006年までの20年間に総事業費約1000万をかけ養成工事が繰り返し行われてきた。
大ケヤキを地域のシンボルとして敬う地元自治会では、大ケヤキを守るため新潟市に樹木医派遣を要望している。
新潟市北区のお宝ものがたり展を見て、高森の丘周辺を散策し薬師堂・薬師山の碑・稲荷神社と新潟県指定天然記念物の高森の大ケヤキを見てきた。
高森の大ケヤキを見上げる (イラストを模写)