巻菱湖展を見て巻菱湖生誕の地を歩く

kanazu362011-07-02

「幕末の三筆」と称された巻菱湖展が生誕地の巻町福井の
旧庄屋佐藤家で開催されていると知る6月29日見てきた。
時間があったので巻菱湖生誕の地を歩いた。
巻菱湖展(巻町福井地区:旧庄屋佐藤家・6月29日)
 巻菱湖:安永6年(1777年)―天保14年4月7日(1843年5月6日)は、江戸時代後期の日本の書家。
 越後国巻(現在の新潟市西蒲区)に私生児として生まれる。
 姓は池田、後に巻を名乗る。
 名は大任、字は致遠または起巌、菱湖は号で、別号に弘斎。通称は右内と称した。
 明治政府の官用文字は御家流から菱湖流に改められ、菱湖の門下生は1万人を超えたと伝えられている。
 市河米庵貫名菘翁と共に「幕末の三筆」と並び称された。
 巻町福井の旧庄屋佐藤家で巻菱湖展が開催されている。
 会場には、菱湖の掛軸や屏風など足跡を紹介するパネルなど10点が展示されている。
 菱湖が生まれた福井地区の柚べし屋本間屋の大看板「柚べし」は、菱湖が書いたとされる。
 けやきの看板のパネルが飾られ、
 看板の大きさは・横457ミリ ・高さ1067ミリ
巻菱湖生誕の地を歩く
 7月3日福井地区自治会などが主催し「巻菱湖生誕の地を歩く」が開催される。
 巻菱湖展の会場に「巻菱湖生誕の地・歴史散策案内図」が置かれていたので案内図見ながら巻町を歩いた。
 出発地の旧庄屋佐藤家の駐車場に「巻菱湖生誕の地」の看板が立つ。
 本間屋(菱湖が書いたとされる「柚べし」の大看板)― 岡崎家(地蔵様が祀られている)―船山神社(船山神社は弥彦神社の摂社で、角田山の南麓に南向きに鎮座する)― 隆崇寺薬師堂 ― 一山寺(三根山藩主牧野家の菩提樹で歴代藩主の墓がある)―茶塚地蔵(小高い丘に地蔵様が祀られている)― 巻菱湖生誕の家跡地(新潟ゴルフィ倶楽部のコースの中に「巻菱湖生誕の地:巻菱湖の生家がこのあたりにありました」と書かれた看板が立つ)― 矢川ふれあい公園(巻菱湖の碑)― 萬福寺巻菱湖と館柳湾の位牌ある。萬福寺曹洞宗のお寺で慶長4年(1599年)に開かれたが、それ以前は真言宗の寺である)― 巻菱湖の碑(巻町の川島美術展の庭に高さ3m・重さ約8トンの碑が建つ:平成23年4月建立)
・番外:館柳湾と碑
 館柳湾(たちりゅうわん):宝暦12年3月11日(1762年4月5日)― 天保15年4月13日(1844年5月29日)は、江戸時代後期の日本の漢詩人・書家。
 新潟市に生まれた館柳湾は幼くして両親を喪い、祖父の生家である巻町の豪商「館源」こと館家の養子となり館徳信に養われた。
 矢川ふれあい公園には、巻菱湖の碑(没後130年を記念し平成3年10月建立)と館柳湾の碑(平成7年4月建立)が建つ。
 柳湾の養育の地は現在第四銀行巻支店となっており、駐車場脇に建つ稲荷神社は館家の屋敷に建っていたものがそのまま残されたものだという。
巻菱湖生誕の地を歩き、旧巻町に「幕末の三筆」と称された巻菱湖と江戸時代後期の日本の漢詩人・書家の館柳湾の2人の書の大家がいたことをはじめて知った。

ゴルフ場の中に巻菱湖の生家が・・・ (イラストを模写)