北前船みちのく丸と新潟白山神社の   大船絵馬

kanazu362011-08-18

江戸時代から明治時代を中心に日本海を航行し、国内海運で
重要な役割を果たした北前船
新潟湊は昔から北前船の寄港地として栄えていた。
1858年(安政5年)日米修好通商条約により開港五港
(函館港・ 横浜港・ 新潟港・ 神戸港・長崎港)の一つとなった。
北前船の復元船「みちのく丸」が8月15日新潟市中央区の新潟西港に入港した。
・復元北前船「みちのく丸」
 新潟西港に入港した北前船「みちのく丸」を8月16日早朝見てきた。
 北前船「みちのく丸」は、全長32m・全幅8.5m・帆柱の高さ28m。
 かって米千石(150トン)を積んだ千石船を復元した。
 岩手・青森県内などの船大工によって2005年に建造された。
 8月16日、船内見学会が行われ多くの人たちが船内を見学した。
・新潟白山神社の大船絵馬
 新潟市中央区の新潟白山神社拝殿に奉納された大船絵馬が掛けられている。
 大船絵馬は新潟県文化財指定さられている。 
 大船絵馬は、縦約1m90センチ、横3m60センチ。
 この絵馬は、1852(嘉永5)年に、新発田市天王の大地主市島家の分家にあたる水原の市島家の3代目市島次郎吉正光が、年貢米輸送の安全と家の繁栄を祈念して奉納した。
 画面下部には、越後各地から新潟湊に運ばれてくる年貢米を大型のベザイ船に積み込む風景が描かれ、朱の丸と「御用」と書かれた旗が、多くの船に描かれていることは、幕領の年貢米の輸送であることを示している。
 画面上部には、廻米の行く先である江戸と大坂で、米俵を下ろしている様子が描かれている。
・番外:御奉行船
 良寛の出身地でもある新潟県出雲崎町は、北前船が寄港した風情を残す妻入りの町並みで知られている。
 出雲崎佐渡金山の金銀や加工された小判を陸揚げする重要な港町で、佐渡の金銀を江戸へと運ぶ「北国街道」の道筋でもあった。
 越後出雲崎町の「天領出雲崎時代館」に、佐渡奉行の御奉行船の模型が展示されてる。
 「御奉行船」は 実物大で、長さ19.1m・幅3.9m・深さ1.2m。
 葵の御紋の入った帆が一枚、その前に偉い人が座る御座所が設けられている。
 この船は金銀や小判を運んだり、江戸から将軍の使いとして来る巡見使を乗せたりした。
 御用船は、年に3から4回ほど佐渡島から金銀小判を運んでいた。
北前船の復元船「みちのく丸」を見学したことで、過去に見た新潟白山神社の大船絵馬と出雲崎の御奉行船を思い出した。

多くの人が「みちのく丸」の見学に (イラストを模写)