金魚や鯛や鯉が町おこしに大活躍

kanazu362011-09-03

昨9月2日午前10時50分藤村修官房長官野田佳彦新内閣の
閣僚名簿を発表し“どじょうっこ内閣”が発足した。
8月29日、野田財務相は、海江田万里経産相との決戦演説で、
「どじょうはどじょうの持ち味があります。金魚にはなれません」と
自らを、泥臭いどじょうにたとえた政治信条を話した。
“どじょう”が一躍政治のひのき舞台に登場。
新潟県内の市町村では金魚や鯛や鯉が、町おこしのひのき舞台に登場し大活躍している。
新発田市の金魚台輪(きんぎょだいわ)
 金魚台輪は、新発田市に昔から伝わる郷土玩具。
 灯りを燈して楽しむ玩具(灯玩)。
 新発田藩藩主溝口氏お抱えの笛師を祖先に持つ竹細工師、矢代周平が1887年頃に考え出した玩具と伝えられている。
 現在は新発田まつり(8月72日から29日)に各町内で大型の金魚台輪である山車を子供達が引き回すパレードの他、お祭りのパレードで大型トラックほどの大きさの、電飾や蒸気を吹く等の装飾をされた金魚台輪パレードが催されている。
 新潟県内には他にも魚をあしらった玩灯やぼんぼりがいくつかあるが、新発田のものが金魚であるのは当時の藩主が金魚好きであったからという説がある。
 また車といわずに台輪とよぶのは新発田だけである。
・巻町の鯛車(たいぐるま)
 巻町の伝統玩具「鯛車」を中心にまちづくりを進める「鯛車復活プロジェクト」チームでは、新たな交流拠点となる「鯛の蔵」が、7月9日巻文化会館前にオープンしたので8月13日見てきた。
 鯛の蔵は、昭和初期から旧巻町役場の文書庫として使われていた2階建ての蔵を改修したもの。
 改修後は1階が鯛車の紹介や制作指導などを行う交流スペース、2階は鯛車を展示するギャラリーとなっている。
 鯛車とは、竹と和紙で作る巻町の郷土玩具。
 お盆の夕暮れ時になると、浴衣姿の子どもたちがいくつもの鯛車にあかりを灯し、町内を引いて回った。
 鯛車は晩夏の風物詩であった。
 江戸末期から昭和の中ごろまで盛んに行われてきたこの風習は、時代の変遷と共に、いつしか巻地区から姿を消していった。
 巻町の有志が鯛車の復活を通じて、心豊かな暮らしとまちに活気を取り戻そうと、2004年に「鯛車復活プロジェクト」チームを結成し活動を行っている。
 このたび「鯛車復活プロジェクト」は、日本の伝統文化の振興と、地域社会の活性化に貢献した組織に贈られる「第4回ティファニー財団賞」の伝統文化振興賞を受賞することが決まった。
 財団賞は新潟県内で3例目。
・潟東村の鯉車(こいぐるま)
 旧潟東村役場の1階フロアーに「鯉車」が飾られていると知り9月2日見てきた。
 巻地区などに伝わる郷土玩具の鯛車は近年、さまざまなまちづくりのシンボルとして活用されている。
 鯛車復活の取り組みに刺激を受け、「潟東でも何かしよう」と2010年から新潟市西蒲区潟東地区の住民有志が10人ほどのプロジェクトチームを結成し準備を進めてきた。
 潟東では、干拓で消えた鎧潟に鯉が多く生息し、漁業や食料としてなど地元の住民生活になじみ深い魚だったことにヒントを得て巻地区の「鯛車」を参考に10台の「鯉車」を作った。
 鯉車は高さ約70センチで発色のいいピンクと水色の2種類がある。
 台車の上部を斜めにし鯉の滝の登りを表現、尻尾はハート型にした。
 関係者は、「鯉車の鯉には“鯉”と“恋”を掛け、それに多くの人が潟東に“来い”との期待も込めている」と。
 「鯉車」を新たな潟東名物にと8月16日の潟東おまつり広場で披露された。
日本の政治の舵を取る“どじょっこ内閣丸”が、難問山積みの荒海に船出した。
巷では、子どもたちに人気の金魚や鯛や鯉が町おこしで街中を泳ぎ大活躍。

これが新登場の鯉車 (イラストを模写)