新潟市の8区を結ぶ「橋ものがたり」の 橋めぐり

kanazu362011-09-07

2010年3月31日、川口町が最後に長岡市と合併し新潟県
平成の大合併は終了した。
平成の大合併政令都市新潟市は8区となった。
地方紙新潟日報新潟市の8区を結ぶ「橋ものがたり」が連載
され8橋が紹介された。
9月2日、興味をもって新聞に掲載された橋めぐりに出かけた。
・旧岩室村の矢川橋(新潟市西蒲区
 2013年に開湯300年を迎える岩室温泉。
 温泉街の入口に矢川が流れ矢川橋が架かる。
 現在の橋は1971年にか架けられたもの。
 橋を渡ると「北国街道」の石柱が建ち左右に旅館が立ち並ぶ。
 北国街道は温泉街を通り弥彦へと通ずる。
・旧巻町の蛍雪橋(新潟市西蒲区
 旧巻町の巻高校脇を西川が流れ蛍雪橋が架かる。
 巻高校の記念誌によれば、橋は1907年(明治40)の旧制巻中学校の創設され頃とされ、その数年後、架け替えられた橋に「旧巻町の蛍雪橋」と命名されたと。
 蛍雪橋とは、「勉学する生徒にふさわしい名前」だ。
 現在の橋は1960年に竣工した。
・旧白根市の凧見橋(新潟市南区
 白根に勤務したことがあり、「凧見橋」から白根大凧合戦を見た記憶がある。
 橋は中ノ口川に架かる歩道橋で橋げたに凧の絵がデザインされている。
 凧見橋は、明治時代からあった旧富月橋を廃止する替わりとして1947年に誕生した。
 毎年6月上旬に白根地区と味方地区の若衆が中ノ口川を挟み「白根大凧合戦」を繰り広げる。
・旧新津市の山谷人道渡線橋(新潟市秋葉区
 鉄道の町新津市のJR新津駅の近くに、構内を東西にまたぐ人と自転車専用の「山谷人道渡線橋」がある。
 新津駅は最盛期の1950年代には貨物を含め発着数が1日400本を数え、山谷踏切は「開かずの踏切」といわれた。
 1966年住民の念願だった「山谷人道渡線橋」が完成した。
 2001年、新津駅に東西歩行者道が完成し、渡線橋の利用者は減った。
 渡線橋を眺めていると目の前を電車が通過していった。
・旧酒屋町の亀鶴橋(新潟市江南区秋葉区
 信濃川と小阿賀野川が旧酒屋町で合流する。
 信濃川と交わる小阿賀野川の最下流の地点に亀鶴橋が架かる。
 橋のたもとに「亀鶴橋の歴史」と書かれた看板と2代目の「亀鶴橋」と書かれたコンクリートの橋柱が記念として飾られている。
 明治19年5月初代亀鶴橋(木橋)が架設された。
 昭和9年6月24日2代目亀鶴橋(コンクリート)が完成。
 平成17年3月28日3代目亀鶴橋(鋼板桁橋)が、2代目亀鶴橋より100m下流に完成。
 古老の話では酒屋町は船運の宿場町として栄え、酒屋商店街は“酒屋銀座”と呼ばれ多くの人で賑わっていたという。
・旧横越村の横雲橋(新潟市江南区
 国道49号線を新潟から水原方向に進むと阿賀野川に横雲橋が架かる。
 昭和43年から3年間水原町に勤務した。
 当時は自動車もなくバスで横雲橋渡り新潟に買物に行った。
 1995年亀田バイパスが開通、横雲橋の上流に「新横雲橋」が完成した。
 新横雲橋の完成で旧道に架かる横雲橋の交通量は激減した。
北区の久平橋や東区の松浜橋も紹介されていたが今回見学できなかった。
機会を見ていつか見学したい。

横雲橋に懐かしさが (イラストを模写)