安田町庵地の瓦ロードを歩く
阿賀野市が旧安田町の特産「安田瓦」をPRするため、安田瓦の
歴史と瓦で作った8か所の瓦アートなどを紹介する「やすだ瓦
ロードマップ」を作成した。
10月8日、マップを見ながら旧安田町庵地の「やすだ瓦ロード」
を歩き紹介されている瓦アートなどを見てきた。
・やすだ瓦ロードに紹介された瓦アート
「やすだ瓦ロードマップ」には、安田瓦の歴史と8か所の瓦アートの展示場所などが紹介されている。
・擁壁瓦飾り
安田瓦協同組合前の道路に「やすだ瓦ロード」と書かれた瓦飾りの擁壁がある。
・全国瓦産地案内図
擁壁瓦飾りの正面に全国の粘土瓦産地を紹介した「全国瓦産地案内図」の大きな看板が立てられている。
・煉瓦煙突
安田瓦協同組合近くに、瓦のまちの象徴である赤煉瓦造りの煙突が保存されている。
・煉瓦飾りバス停
安田瓦協同組合の近くの町営バス「庵地小路(丸三工業所前)バス停」は、安田瓦でつくられた珍しいバス停である。
バス停は2008年5月に完成した。
安田瓦がふんだんに使われた待合所は、安田瓦独特の銀色に輝く鉄色に覆われ、待合所の椅子は瓦を並べた上にござが敷かれた簡素のもの。
・瓦庭園
瓦庭園は約1000枚の瓦で独特の曲線の美しさを生かし、土塀には安田名物の「だしの風」を現し、土間には阿賀野川の流れと時代の流れをイメージしている。
土塀の前の小さな庭には、大きな鬼瓦が2体置かれている。
・さんかく広場
広さは約120平方メートルで瓦で作った花壇も設けれれている。
4本の瓦の柱が頂上で一体化した高さは約4.3mのタワーがそびえる。
・ふれあいピット
土塀には瓦で五頭山描かれ、積まれた瓦の塔の上に鯱・鳩・蛙が乗っている。
・安田瓦の歴史解説板と鬼瓦の展示
旧安田町庵地は安田瓦の産地で有名。
戦前の1930年代に作られた鬼瓦が、燕市の寺から生産地の庵地に帰郷した。
鬼瓦は高さと幅が2.4mほどで、1932年に庵地の「村久(むらきゅう)瓦工業」で焼かれたと推定される。
鬼瓦は、燕市の専養寺に長年飾られていたが、落雷で破損したため2007年に取り外された。
庵地の瓦職人斉藤慶和(33)さんが、「捨てるのは忍びない」と譲り受け修理した。
鬼瓦は「魔よけ」とされるため、地元では、役目を終えた後にもう一度飾ること異論が出た。
しかし、戦前の貴重な品であることから、安田瓦協同組合が「江戸時代から続く産地の歴史をPRできる」と組合の建物裏に設置場所を確保した。
小高い山の上に安田瓦協同組合の建物がありその裏手の丘が整地され公園に。
公園の一画に鉄骨を組んだ高さ1.3mほどの台座の上に鬼瓦が飾り付けられている。
関係者によると、鬼は男女で対になっており、今回飾られたのは「女鬼」。
一緒に取り外された「男鬼」は燕市の業者が保管しているという。
・安田瓦の歴史(安田瓦の歴史解説板から抜粋)
安田瓦は天保年間(1830)から生産されたと云い伝えられ、一般商品として生産されたのは弘化4年(1843)から。
明治に入って国内各地の師団増設、兵舎の増改築が高まり、弘前、旭川師団や新発田兵営の屋根工事を請け負うなど、大量の注文を機に焼成の気運が高まり、安田瓦の真価が広く各地に認められ、官庁、学校等の公共物の需要によって栄えてきた。
また、品質、強度、耐寒性にすぐれ、味わい深い鉄色の瓦は一般住宅・神社・仏閣の屋根を飾るにふさわしく、県内外の名刹に多く用いられてきた。
・番外:復元された会津鶴ヶ城の天守閣の赤瓦は安田瓦
会津鶴ヶ城の天守閣の瓦が黒瓦から安田瓦の赤瓦で葺き替えられ2011年3月27日オープンした。
会津若松市は、現在の瓦の産地である、安田瓦(新潟県)、石州瓦(島根県)、三州瓦(愛知県)、大和瓦(奈良県)などに試作を依頼して、それぞれを分析、比較したところ、土の成分については、安田瓦が当時の瓦により近いものであることが分かり、復元瓦は、安田町で焼かれることになった。
わが家の屋根は、安田瓦なので安田瓦と聞くと親しみがわく。
瓦のまちに今も残る赤レンガの煙突 (イラストを模写)