市町村の道路元標めぐり
地方紙新潟日報に毎週水曜日「写ッタ」で珍しい写真が掲載
される。
10月6日は、旧両川村の「道路元標」だった。
資料によれば大正時代新潟県には410を超す市町村があり
「道路元標」も約410あったという。
興味を持ち県内をドライブ中に「道路元標」を見つけると写真に収めている。
・道路元標
東京日本橋に慶長9年(1604)全国に通ずる街道の出発点として建てられたのが始まり。
1911年(明治44)に現在の日本橋が架けられたとき「東京市道路元標」が設置され、1919年(大正8)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた。
当時、新潟県には410を超す市町村があり道路元標もその数だけ建てられていた。
道路法制定当時は木柱であったが、1922年(大正11)現在の石柱になった。
・これまでにみ見た道路元標
・両川村の道路元標(2011年10月8日)
両川村は、明治34年(1901)11月1日、酒屋村・割野村・嘉瀬村・和舞村の4村が合併して両川村が誕生した。
村名の「両川」は、村が信濃川と小阿賀野川の合流点に位置しているところから名付けられた。
地元の人は両川村を親しみを込めて「ふたかわむら」と呼ぶ。
両川村の道路元標は、酒屋町商店街の戸松時計電気商会と敬覚寺門柱の境界付近にある。
石柱は上部約20センチだけを残してアスファルトに埋まっており「両川」の2文字しか見えない。
・松野尾村の道路元標(2009年5月1日)
旧松野尾村の村内に立てられている北国街道(現在地松山・松野尾へ1キロ・仁箇へ0.7キロ)と書かれた標柱の反対側の道路脇に「松野尾村道路元標」の石柱が建つ。
・新潟市の道路元標(2007年7月25日)
新潟市本町通7番町と柾谷小路が交差する角の永井電機前路上に「新潟市道路元標」と「道路元標」「里程標」の説明が書かれた石碑が建つ。
・曽根村の道路元標(2007年7月25日)
西川町4番町生田耕平宅前路上に曽根村の道路元標の石柱があった。
石柱の「標」字がアスファルトに埋まり隠れ「曽根村道路元」までしか読めない。
・小吉村の道路元標(2007年7月25日)
中ノ口川を挟み両郡橋が旧小吉村と茨曽根を結ぶ。
両郡橋上流土手近くにの通行止めの脇に、石の台座に乗った小吉村の道路元標があった。
解説板には「この道路元標は、大正8年(1919)に公布された道路法によって、全国の各市町村に設置されてものも一つです。
しかし、昭和27年(1952)の新道路法制定により、この道路元標はその役目を終えました。
その後、道路元標のいくつかは、道路の拡幅や河川の改修等で移動され行方が分からなくなりました。
運よく残されたこの道路元標は、昭和29年(1954)の中之口村立村で小吉村があったことなども語ってくれ貴重な文化財です。
小吉村道路元標がこの地に末永く保護されることを願うものであります。
平成17年3月21日中之口村閉村にあたって記す」と書かれている。
・桐島村の道道路元標(2007年7月25日)
旧和島村の島崎橋のたもとに「桐島村道道路元標」の石柱があり、その脇に良寛和尚の歌碑が建つ。
次はどこの市町村の道路元標に出会うことができるだろうか。
こんなところに道標が (イラストを模写)