新潟の臨海鉄道と新潟・新新バイパスの橋
新潟市の臨海鉄道と新潟バイパス・新新バイパスの橋の話題が
新聞に。
・新潟の臨海鉄道
新潟県が、新潟東港のコンテナターミナルに鉄道を直接乗り
入れ、貨物輸送の効率化を図る構想の実現に向け港湾計画を変更する方針を固めた。
旧新潟臨海鉄道を廃線利用し新潟東港西埠頭1号岸壁からJR白新線黒山駅(新潟市北区)を結ぶ区間を鉄道とする港湾計画で、10月18日「新潟県地方港湾審議会」承認された。
2002年(平成14)10月31日、新潟臨海鉄道解散後も線路は、新潟県が「新潟東港鉄道」として引き継ぎ、藤寄駅〜黒山駅は鉄道車両の輸送などで現在も使用されている。
現在、港湾計画の中で港湾鉄道として定められているのは、新潟東港西埠頭1号岸壁から藤寄駅までの800m。
今回の計画変更で新たに、藤寄駅から黒山駅までの3.6キロが加えられる。
黒山駅までを港湾計画に位置づけることにより、国の事業として線路の補修整備や耐震化などを実施することが可能になり、現在国が進める日本海側拠点港の選定に対しても、新潟県はアピール材料の一つに位置づけている。
新潟臨海鉄道は、旧国鉄と新潟県・新潟市・荷主企業などの共同出資で1969年4月に設立された。
そして1970年10月には白新線の黒山駅から藤寄まで2、5キロが開通、1972年3月には藤寄〜太郎代間2、9キロが開通し、全通した。
しかし、その後のトラック輸送の増加や、新潟東港西水路掘削による線路分断等、諸般の事情により、2002年10月1日をもって廃止されてしまった。
ただし、黒山〜藤寄〜西埠頭間は「黒山駅分岐新潟東港専用線」として残し、主に新潟鐵工所の鉄道車輌の輸送に使用されている。
初荷は2002年12月2日(月)
1969年(昭和44)4月:新潟臨海鉄道株式会社設立
1970年(昭和45)10月1日:黒山〜藤寄間開業(2、5キロ)
1972年(昭和47)3月24日:藤寄〜太郎代間延伸開業(2、9キロ)
2002年(平成14)10月1日:黒山〜太郎代間廃止(5、4キロ)
2002年(平成14)10月31日:新潟臨海鉄道株式会社解散
2002年(平成14)11月21日:黒山〜西埠頭運輸開始
西埠頭〜太郎代間は東港の拡張工事に伴い、一度路線変更されている。
線路の跡はわかりにくいが、太郎代側のかつての舗装道路はまだ残っている。
現在藤寄〜西埠頭間はレールこそ残っているものの、草が生え放題で途中の踏切が埋められていたりして実質廃止状態である。
・新潟バイパスと新新バイパスの橋
10月15日から新潟バイパスの黒埼ICから新潟バイパスの三賀橋間の制限速度が時速70キロとなった。
新潟バイパスの黒埼ICから新新バイパスの三賀橋間に架かる7橋は、車道とは別に歩道があり歩行者と自転車が通れることを初めて知った。
10月25日国土交通省新潟工事事務所を訪ねバイパスに架かる7橋の話を聞いた。
国土交通省新潟工事事務所によるとこれらの橋の歩道は、近隣住民が対岸に渡れるようにと整備された。
信濃川に架かる新潟大橋は2005年10月の調査で、1日当たり約1600人(平日昼間・自転車を含む)が通行している。
現在7橋の歩道と車道との間に防護柵を設置する工事を進めている。
工事は年内に完了する予定。
新潟バイパスと新新バイパスの7橋は、
・新潟大橋・阿賀野川大橋・新郷川橋・切尾橋・新発田川橋・東港IC橋・三賀橋
これまでに東港IC橋と三賀橋2橋の工事は終了している。
興味を持ち新潟バイパスの新潟大橋の工事現場を見学し、はじめて新潟大橋の歩道を歩いて大橋を渡った。
・番外:新潟駅南口前の道路案内標識の交換
10月28日、新潟市中央区のJR新潟駅南口付近に2年以上残っていた現状とは異なる道路案内標識が、道路を管理する新潟市によって正しい内容の標識に取り替えられた。
取り替えられたのは、南口広場に向かう弁天線と笹口線の交差点付近にあった標識。
時代の変遷ととともに変わる、新潟の臨海鉄道と新潟バイパスと新新バイパス。
昔の思い出は・・・。
エェ!!バイパスの大橋を徒歩で渡れるの (イラストを模写)