東京観光で東京の街を歩く

kanazu362011-11-15

古稀の記念に娘夫婦から招待を受け、2泊3日の日程で
東京観光に出かけ久しぶりに東京の街を歩いた。
小石川後楽園(文京区・11月8日)
 水戸黄門ゆかりの大名庭園(パンフから抜粋)
 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園。
 光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけられた。
 庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっている。
 また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されている。
 ・園月橋 ・得仁堂 ・通天橋 ・八卦堂跡 ・九八屋 ・丸屋 ・内庭
 など。
・皇居(千代田区・11月9日)
 大田道灌が1457年に築城し、3代将軍家光の時代に完成した徳川幕府の居城(江戸城)であったものが、明治元年に皇居となり、明治21年以来、宮城と称されていましたが、昭和23年、宮城の名称が廃止されて、皇居と呼ばれるようになった。
 皇居内には,天皇皇后両陛下のお住居である御所をはじめ、諸行事を行う宮殿、宮内庁関係の庁舎、紅葉山御養蚕所などの建物があり、その一角に桃華楽堂などのある皇居東御苑がある。
増上寺(港区・11月10日)
 浄土宗の七大本山の一つ。
 三縁山広度院増上寺が正式の呼称で開山は酉誉聖聡。
 江戸時代の初め源誉存応が徳川家康の帰依を受け、大伽藍が造営され、以後徳川家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として興隆した。
 ・増上寺三門(三解脱門)
  浄土宗の宗祖法然上人の800回忌を記念し増上寺三門が戦後初めて一般公開されている。
  三解脱門とは、三毒煩悩から解脱するという意味で「むさぼり(貪欲)・ いかり(瞋志)・おろかさ(愚痴)」の三つの毒からはなれ、極楽浄土に入る心をつくるための門。
  禅宗様式の和洋折衷の美しさを持ち、慶長16年(1611)、徳川家康公の助成により、幕府の大工頭・中井大和守の配下によって建立された。
  間口約20m・奥行き約9m・高さ約21mの母屋造り。
  2階内部の楼上には、中央に釈迦三尊像と左右に8体ずつの羅漢像と当山歴代上人像が奉安されている。
 ・徳川将軍家墓所とお江の墓
  徳川将軍家墓所が特別公開されていたので、お江の墓も参拝した。
  ・徳川将軍家墓所
   増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人(秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂)が葬られている。
   第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝(建造物)に指定されていた。
   その壮大さは日光東照宮に引けを取らないものだったが、昭和20年(1945年)の空襲で建造物群のほとんどは焼失した。
   現在は台徳院霊廟の門4棟と、有章院霊廟二天門、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)を残すのみである。
  ・お江の墓
   お江は寛永3年(1626)江戸城にて永眠。
   死後、崇源院の謐(おくりな)を授けられ増上寺に葬られた。
   NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」が放送されており、墓所を訪れる人が絶えない。
東京スカイツリー台東区・11月10日)
 東京スカイツリーは、東京都墨田区押上に建設中の電波塔(送信所)。
 全高(尖塔高)634m、軒高(塔本体の屋上の高さ)495mは2012年完成時点で、自立式鉄塔としてはキエフテレビタワーの385mを上回る世界第1位。
  浅草寺近くの吾妻橋から建設中の東京スカイツリーを見上げた。
浅草寺台東区・11月10日)
 1300年以上の歴史を数える都内最古の寺院。
 推古天皇36年(628)3月18日の早朝、隅田川で漁をしていた兄弟が、網にかかった聖観世音菩薩を引き上げ、安置したのが始まりといわれる。
 大化元年(645)、勝海上人がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。
 ・雷門 ・五重塔 ・観音堂 ・宝蔵門
 など。
気温が少し低かったが晴天に恵まれ東京の街を歩くには最高だった。
娘夫婦の計らいで東京観光が最高の古稀記念の思い出になった。
スカイツリーを見上げる (イラストを模写)