弥彦の菊まつりともみじ谷の紅葉

kanazu362011-11-19

紅葉の季節。
秋晴れの18日、弥彦神社の菊と弥彦もみじ谷の紅葉を見に
弥彦の街を散策した。
・弥彦の菊まつり(弥彦村弥彦神社・11月18日)  
 第51回新潟県菊花展覧会「弥彦菊まつり」が弥彦村弥彦神社で11月24日まで開催されている。
 山門の大鳥居から神殿までの参道の両側に、約4000鉢の色とりどりの菊花が並ぶ。
 恒例の「大風景花壇」の今年のテーマーは、”富士山”。
 幅約12m・奥行き約7mの大風景花壇には、富士山やすそ野や松林、冠雪などを白・赤・黄の3色の菊約3万本で素晴らしい富士山を表現している。
 本殿を中心に左右に大菊大数咲の菊花が4鉢並ぶ。
 大菊数咲は、一本の茎に花数が300輪以上も咲きみごと。
・弥彦もみじ谷の紅葉(弥彦村弥彦公園もみじ谷・11月18日)
 弥彦駅前駐車場は普段無料だが、菊まつり期間中は有料(300円)となる。
 駐車券に「この料金は、国定公園内の自然環境保持及び観光施設整備等にあてられます」と書かれている。
 弥彦駅近くにある弥彦公園は、16万haにも及ぶ広さがあり公園内には滝や渓流、高台、トンネル等があり約500本のもみじが植えられている。
 もみじ谷のもみじが真っ赤に燃えひょうたん池の水面に真っ赤なもみじが映る。
 弥彦山をバックに真っ赤に彩られた紅葉と朱色の観月橋とのコントラストが美しい。
・番外:浄専寺の中庭(新潟市西蒲区石瀬:浄専寺・11月18日)
 新聞に旧岩室村石瀬浄専寺の中庭が紹介されており見てきた。
 浄専寺の中庭は、平成2年3月30日新潟県文化財名勝に指定された。
 パンフには、
 浄専寺は真宗大谷派の寺院で、太田山と号し、慶長13年(1608)年間に信州から移転し開基されたと伝えられる。
 もともと、堂宇は現在の「字藤本」ではなく、北方の石瀬代官所のあった「字敷地」、通称御用地に構えていたが代官所が廃止となり、与板藩の領地となった時、藩主井伊右京太夫がその居城を浄専寺のある「敷地」に移す計画をたてたために移転を命じられ現在の地に移ったものである。
 寺は文化13年(1816)に移築を始め、文政元年(1818)に落慶しており庭園もこの時期に作られたと伝えられる。
 庭園は本堂と庫裡書院との間、東西両側を廊下で囲まれた中庭(面積108平方メートル)で庫裡の方から鑑賞するように作られた枯山水で(庫裡南庭とする)、寺には、この他に庫裡北側に池庭もある。
 庭園は本堂寄りに東と西に島を設け、その間に自然石の石橋(長さ1.2メートル、幅60センチメートル、厚さ20センチメートル) を渡す。
 西側の島が大きく高く、中くらいの石を多数組み、東部に見応えのある立石2個を主とした枯滝石組がある。
 島の上にはマルバヒイラギ・カエデ・ツバキ・サンゴジュ・ニッケイの大木が見られる。東の島は石組で囲まれ、奥に気勢のある二個の立石と臥石一個による石組がよく利いている。
 この石組の手前にクロマツの大木(樹高15メートル、胸高直径60センチメートル)があり、その下に春日燈籠を立てている。
 昭和40年代に東側の渡り廊下を改修したとき、廊下が50センチメートルほど西に広がり、東の島の護岸石組が一直線に直されたのが惜しまれる。
 前面の平地は一面の苔地で、枯滝前方に水分石風に一個置き、縁側の沓脱石からの飛石が礼拝石を経て東の島へと連なっている。
 全体的な地割りもよく、石組もすぐれた幕末の庭園である。 
秋の弥彦は、弥彦神社の菊と弥彦もみじ谷のもみじが映える。
真っ赤に燃えるもみじ谷 (写真を模写)