果物や花などの栽培に夢を託した先人 たち

kanazu362012-04-27

椎茸と炭で貧困から脱出せよ!
しられざる明治殖産興業のパイオミア田中長嶺(ながね)。
新潟県人で全国にシイタケの人工栽培法などを広め、山村での
殖産事業に尽力した長岡市出身の田中長嶺(ながね)を紹介する
企画展が同市のアオーレ長岡で開催されている。
農業県である新潟で果物や花などの栽培に夢を託した先人たちの功績顕彰碑などが多く建てられていることを新聞で知り、4月24日功績顕彰碑めぐりに出かけた。
・シイタケの人工栽培
 明治時代、全国にシイタケの人工栽培法などを広め、山村での殖産事業に尽力した長岡市出身の田中長嶺(1849〜1922)を紹介する企画展が同市のアオーレ長岡で開催されていたので4月24日見てきた。
 田中は、嘉永2年(1849)に新潟県三島郡上富岡村の農家の六男として誕生した。
 少年期に医学、絵画の道を志すも断念し、長年、農業と山林の開墾に従事する傍ら、菌類(キノコ)の研究に取り組み、独自の人工栽培法を開発した。
 43歳のとき、愛知県の北設楽郡東加茂郡でシイタケ栽培を指導したのを皮切りに、日本各地でシイタケの人工接種法や炭焼窯の改良の実地指導を行い、寒村の産業振興に尽くした。
ルレクチェの栽培 
 日本におけるル・レクチエ発祥の地は旧白根市東萱場。
 100年以上前に白根地区の農家小池左右吉さんがフランスからル・レクチエの苗木を取り寄せ育てた。
 小池さんの農園には、ル・レクチエの原木がありその脇に「日本におけるル・レクチエ発祥の地」の石碑が建てられている。
 小池左右吉(1867年−1955年)さんが、明治30年代後半頃に原産地フランスから数品種の苗木を直輸入、栽培に取り組み、我が国で初の洋ナシの栽培をはじめ我が国で初めて果実を実らせた。
・類産梨の栽培
 新潟市南区月潟は角兵衛獅子の発祥の地として有名だが、国の天然記念物の「類産梨」の巨木があり、道路脇の畑の中に「国指定天然記念物“月潟の類産ナシ”」と書かれた看板と「天然記念物月潟の類産梨」の石碑が建っている。
 国の指定は昭和16年(1941)11月13日。
 看板には、
 ・樹齢約200年 ・根元周囲長2.4m ・樹高1.8m ・地上1mのところから6本の大枝に分かれる ・開花期は4月末 ・果実は卵型で翌年6月頃まで貯蔵に耐える。
 この地の梨栽培の歴史は、文化年間(1804年から17年)に大別当の深澤剛蔵氏が
 上総国より苗を求めて植えたのが始まりとされている。
 しかし、文政の越後大地震天保の大飢饉などの天災もあり、庶民の生活は貧しく、 梨の需要は伸び悩み、梨栽培は容易に普及しなかった。
 深澤氏は研究を続け、次第に収益を上げるようになり栽培をする者が出てきた。
 明治10年頃から本格的に発展することなり、大正期には栽培面積も60町歩にまで
 拡がった。
 類産ナシは、今でも年に400個ほど収穫され、総重量は100から150キロになるといわれる。
・おけさ柿の栽培
 「おけさ柿」とは、新潟県産の平核無の統一銘柄。
 佐渡郡羽茂村(現在の佐渡市)に杉田清氏の功績顕彰碑が建つ。
 八珍柿は渋柿の品種で正式名は平核無柿(ヒラタネナシガキ)。
 実の中に種のできないカキの変種。
 名前の由来は「越後七不思議の次に珍しい」の意から「八珍」と名づけられた。
 原木は新潟市秋葉区古田(旧新津市)にあり、樹齢約320年、高さ16m、幹周り203センチの巨木で県指定天然記念物。
 明治初期、庄内藩家老職の酒井調良が苗木を山形県庄内地方に持ち帰り産地化したものが庄内柿であり、昭和初期になって佐渡郡羽茂村(現在の佐渡市)の農業指導員杉田清さんが庄内柿の穂木を佐渡島に持ち帰り産地化したものがおけさ柿である。
 「昭和初期、佐渡郡羽茂村で耕地の狭い山地でも育つ柿として生産を始めた。
 農業指導員杉田清(明治37年2月14日生・新潟県安塚生・現上越市)さんは、大正12年4月佐渡郡小木町に赴任、昭和2年生涯を過ごすこととなる羽茂町(現佐度市)に赴任した。
 柿との出逢いがこのとき始まり、杉田と柿農家の人々が苦労に苦労を重ねおけさ柿を全国ブランドになるまでに育て上げた。 
・チューリップの栽培
 チューリップは 地中海から中東にかけての高地乾燥地帯が原産で,オスマン朝トルコでは宮廷の庭園で栽培されていたという。
 新潟市秋葉区川根の新津花き総合センターの“道の駅花夢里に「日本チューリップ発祥の地記念碑」が平成元年(1989)年に建立された。
 記念日の裏面には、
 この地はかって大正のはじめ先覚者故小田喜平太氏が、日本ではじめてチューリップ球根の生産を目指し巨費を投じてオランダより種球を購入、信濃川堤外地において試作を重ねた結果地域の産業として極めて有望なることを確信、同志と共に栽培の普及に努力されたこのことは今日新潟県が日本一のチューリップ生産地として確固たる地位を築く基を開かれたものであり正に日本チューリップ発祥の原点である。
 と書かれている。
功績顕彰碑からは、果物や花などの栽培に夢を託した先人たちの血と汗と涙の物語が伝わってくる。
この功績顕彰碑は (イラストを模写)