漢字とひらがなとカタカナ

kanazu362012-06-19

新聞に漢字とひらがなとカタカナの成り立ちが出ており、興味を
持ちインターネットなどで調べた。
大漢和辞典(全13巻)を編さんした諸橋轍次紀念館が三条市
庭月に4月22日リニューアルオープンしたと知り6月17日見て
きた。
・漢字
 漢字とは、漢民族の間で発生した表意文字の1つでる。
 古代において中国から日本、朝鮮、ベトナムなど周辺諸国にも伝わり、その形態・機能を利用して日本語など各地の言語の表記にも使われている。
 日本語において、漢字はひらがな・カタカナと並ぶ主要な文字である。
 漢字の読みには中国での読み方に由来する音読みと、対応する意味の日本語を当てはめ漢字の読みとした訓読みの2種類が存在する。
 日本に漢字が伝来したのは4世紀で、7世紀頃には漢字は日本でも使いこなせる物になっていたと言われる。
・ひらがなとカタカナ
 五十音を表す文字にはひらがなとカタカナがある。
 ・ひらがな
  ひらがなは、西暦900年頃(1100年ほど前)の 安時代に、それまでの画数の多い 「万葉がな」に代わるものとして考案された。  
 ・カタカナ
  カタカナは、西暦800年頃(1200年ほど前)に ひらがな同様、文字を簡略表示させる目的で考案された。
ひらがなもカタカナも、全て漢字がベースになっていて、ひらがなは1文字をくずしたもの、カタカナは1文字のうちのどこかの部分をくずしたもの、が多くなっている。
そのため、カタカナは「片仮名」と書く。
ひらがなとカタカナは、使う場所や人が違う。
ひらがなは主に女性が和歌や書くときに用いた。
カタカナは漢字で書かれた公文書を読むため、役人などの男性がふりがなや送りかなとして使った。
しかし、和歌を書くときは男性もひらがなを使った。
ひらがなは江戸時代以降、寺子屋でも教えられ民衆が日常的に使っていた。
カタカナは公的な場で使われ続けたはか、形がシンプルで覚えやすいことから明治以降はひらがなに先駆けて教えられた。
しかし、太平洋戦争で日本が敗れた後は、連合国司令部(GHQ)の指導でひらがな教育に変わった。
・番外:諸橋轍次紀念館と大漢和辞典(全13巻)
 三条市庭月の諸橋轍次紀念館は旧下田村時代の平成4年に開館した。
 以来20年の節目と、日中国交正常化40周年に合わせて開館できるようにと、三条市が約5800万円かけて改装を施し4月22日リニューアルオープンした。
 会場には、諸橋轍次博士の1883年出生から1982年逝去までの100年の軌跡が掲示され、博士の遺品・遺墨などのほか親字数5万、語彙(ごい)数50万、総ページ数1万5千の世界最大の「大漢和辞典」(全13巻)も展示されている。
 映像や音を頼りに漢字の成り立ちを学べる新コーナーなどもある。
 親字数5万、語彙(ごい)数50万、総ページ数1万5千の世界最大の「大漢和辞典」(全13巻)も並べられている。
 壁の大パネルには、「大漢和辞典」(全13巻)に収められた見出し漢字約5万字すべてと、常用漢字1945字は青、人名漢字284字は緑にそれぞれ色分けされ示されている。
漢字の成り立ちを学び、ひらがなとカタカナの成り立ちを知ると難しかった漢字にも親しみが・・・。
この漢字からカタカナが (イラストを模写)