大河津分水路の旧可動堰と新可動堰

kanazu362012-07-07

梅雨末期、梅雨前線の影響で西日本(九州〜近畿)を中心に
記録的な大雨が降り続き、各地で大きな被害が出ている。
6月23日大河津分水路の旧可動堰が取り壊される前に一般
公開されると知り見てきた。
昨年の5月29日には新可動堰の一般公開も見た。
これで新旧可動堰を2年がかりで見た。
・大河津分水路
 大河津分水(大河津分水路)は、信濃川新潟県燕市内(分水地区)にて分流し、長岡市内(寺泊大河津地区)を経て日本海に注ぐ分水路で新信濃川とも呼ばれる。
 全長は9.1キロで川幅は分流点の分水側に設置されている大河津可動堰付近では約720mあるのに対し、河口付近では約180mとなっている。
 通常、川は河口へ向かうほど幅が広くなるが大河津分水では逆となっている。
 これは、河口付近2キロが山地となっているため掘削土砂量を減らすこと、及び川幅を狭め河床を急勾配にする事によって流速を早め、洪水時により多くの水を流すように設計したためである。
・大河津分水の仕組みと可動堰の役割
 信濃川は、旧分水町五千石で信濃川と新信濃川(大河津分水路)に分かれる。
 信濃川には、洗堰(あらいぜき)があり、大河津分水路には可動堰(かどうぜき)がある。
 ・可動堰の役割
  可動堰の開放と閉め切りで信濃川下流(新潟方面)への水量を調整し洪水被害を防ぐ。 
  通常は、生活用水・かんがい用水・工業用水などに必要な水量(毎秒270立方メートルまで)を流す。
  信濃川下流渇水時には、可動堰を閉め切り、全量を洗堰から下流へ流す。
  信濃川下流へ流す以外の水は、可動堰を開き大河津分水路から日本海へ流す。
  信濃川下流の洪水時には、洗堰を閉め切り可動堰を開き全量を直接日本海に流す。
 ・旧可動堰
  平成23年11月23日新可動堰が完成し通水した。
  昭和6年から約80年にわたって越後平野を守り続け、その役目を果たしてきた旧可動堰が2012年夏には撤去される。
  撤去を前に6月23日(土)一般公開されてので見てきた。
  旧可動堰の水門は10門。
  普段は見ることのできない川底だった場所を歩き、特別開放された旧可動堰の管理橋を歩き堰の上から分水路の川底を眺めた。
  水門の一部と「新信濃川」と「可動堰」の橋柱などは記念として残すという。
 ・新可動堰
  国土交通省北陸地方整備局は2011年11月23日、新潟県燕市に新たに整備した大河津可動堰の供用を開始した。
  2003年に大河津可動堰改築事業に着手し、2006年から本体工事を進めていた。
  計画中の右岸側の高水敷を造成する工事などを含め、2013年度までの総事業費は、約410億円。
  台風の接近で雨が降る2011年5月29日、新可動堰の一般公開が行われたので見てきた。
  堰柱7本の間には幅約40mの日本最大級のゲート6門を備える。
  新可動堰に両側には3タイプの魚道が新設されている。
  3タイプの魚道は、主として鮭などの大型游泳魚と主として鮎などの大型から小型游泳魚と鮎などの主として鮭などの大型游泳魚やウナギなどの底生魚に分かれている。
  新可動堰は川底からの高さが13mある。
  堤防に設けられた仮設階段を登り堤防を歩いて管理橋を渡った。
  管理橋(長さ293.1m)から眺めると、上流には旧可動堰が見え、下流には大河津橋が見えその先に日本海と国上山が見える。
  管理橋から13m下の川底のゲートをのぞいた。
  川底には十字型のコンクリートブロックがきれいに並べられている。
  このコンクリートブロックは、川底が削られるのを防ぎ堰の地盤を守る役目をする。
昭和54年から3年間与板町に勤務した。
新潟に車で帰るとき、いつも可動堰(旧)を見ながら帰った。
間もなくあの雄姿も姿を消す。
取り壊しを前に思い出の旧可動堰を見学できてよかった。 
旧可動堰から川底を眺める (イラストを模写)