亀田縞と小須戸縞と小千谷縮

kanazu362012-08-01

越後の伝統的な織物の亀田縞(かめだじま)や小須戸縞(こすど
じま)や小千谷縮(おぢやちぢみ)がいま脚光を浴び、地域おこし
と生産に向け後継者の育成などに取り組む話題などが新聞に。
・亀田縞と亀田縞の復活に向けた取り組
 ・亀田縞
  亀田縞の起源は享保年間とも寛政年間とも言われており、定かではない。
  当時は農家の自給用として織られていた藍染の綿織物が亀田商人の手によって集荷販売がされるようになった。
  亀田縞は農民の冬季の副業であったため、製品は必ずしも上等ではなく規格も不均一だったが、安くて丈夫であったため需要があった。
  織る農民は袋津を主とした地域でしたが、亀田商人が集荷していたため、亀田縞と呼ばれるようになった。
  大正期にかけて亀田縞は全盛期を迎えたが、1938年(昭和13)に戦時指定生産が始まり、和服から大量生産の洋服へと移行が始まったことから、300年続いた亀田縞生産も終息していった。
  2005年(平成17)に亀田縞の再興をと地元の二人の職人が伝統を引き継ぎ復活させた。
 ・亀田縞の復活に向けた取り組
  旧亀田町の伝統織物「亀田縞」で地域おこしをめざす市民グループ約20人が「亀田縞応援隊」を結成、2009年から木綿の栽培に取組み、収穫した綿で亀田縞を作っている。
  今年で4年目となる5月20日、新潟市江南区早通にある亀田郷土地改良区の農業水路約70m分、約90平方メートルを借り、小学生の親子や市民ら約40人が参加し木綿の種と苗木を植えた。
・小須戸縞の歴史展
 7月末まで、新潟市秋葉区小須戸の薩摩屋で「小須戸縞の歴史展」が開催されていたので7月22日見てきた。
 会場には、2年ほど前まで生産に携わっていた長井利夫(75)さんが持つ明治や大正時代の資料と小須戸縞の製品約50点が展示されている。
 小須戸縞は200年以上の歴史があるとされる伝統織物で丈夫な品質が評価され、農家の作業着や夜具として全国に流通し、大正期には200軒を超える機織り業者がいたとされる。
 ただ、戦後の繊維産業の変化などで徐々に衰退。現在は生産が途絶えている。
 旧小須戸町(現新潟市秋葉区)では明治・大正時代を通じて「小須戸縞」といわれる綿小幅先染めの農業衣料を主として生産していた。
 旧小須戸町では幕末の慶応年間(1865〜1867)には、機屋が289軒にも達した。
 1868年(明治元)の戊辰戦争にさいし、旧小須戸町が戦火を蒙ったため、機業も一時頓挫した。
 しかし、小須戸では摂津紡績の綿糸を原料として夜具(布団)縞・納戸無地・縞木綿などの生産が盛んになっていき、それらは 品質の堅牢な点で評価を受け「小須戸縞」として県内外に広まった。 
小千谷縮の後継者育成で製作体験講座開催
 ・小千谷縮
  小千谷縮は、新潟県小千谷市周辺を生産地とする麻織物。
  南魚沼市を生産地とする越後上布と共に、国の重要無形文化財に指定、ユネスコ無形文化遺産に登録されている。
  堀次郎将俊(明石次郎)が明石縮をもとに越後麻布から改良したもので、昔は農民の副業として特に冬に生産されていた。 
  17世紀、堀次郎将俊が、越後麻布の改良に成功、その改良は魚沼地方全体に広がっていき、当時は越後縮と呼ばれていた。
  1955年5月12日、「越後縮」として国の重要無形文化財に指定される。
  1960年に「小千谷縮越後上布」に名称変更。
 ・後継者育成で製作体験講座開催
  小千谷市が、越後上布小千谷縮布技術保存協会の協力を得て、昨年度から「製作体験講座」を開催している。
  製作工程を学ぶ体験講座には、新潟県内の20〜70台の女性30人が受講し来年2月まで全6回の講座を通じて小千谷縮の歴史や製法などを学ぶ。
江戸時代から明治・大正・昭和にかけ地域を支えた、越後の伝統的な織物の亀田縞や小須戸縞や小千谷縮がいま脚光を浴びている。
伝統的な織物の亀田縞や小須戸縞や小千谷縮を地位おこしの起爆剤にと、復活に向けた緻密な取り組みが各地で進む。
この織物は (イラストを模写)