二宮金次郎像めぐり

kanazu362012-09-07

NEKの朝ドラ「梅ちゃん先生」に集団就職で青森から上京し、
安岡製作所に働く光男少年が登場した。
大の読書好きで学校の図書館の本を片っ端から読み、祖父から
教えられた格言に忠実に生きていく実直な少年を演じている。
その姿は、薪を背負って本を読む二宮金次郎の姿と重なり、ドラマの中で成長してゆく光男少年の姿を見るのが楽しみだ。
田上町吉田新田の民家の庭先に焼き物で作られた珍しい「二宮金次郎像」が立っていると新聞に出ており二宮金次郎像めぐりに出かけた。
二宮金次郎(神奈川県の生まれ・1787―1856)
 「二宮尊徳二宮金次郎)」は、 薪を背負いながら本を読む姿の像で有名な江戸時代後期の農政家&思想家。
 私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されるという「報徳思想」を説いた人物であり、農村復興政策・農村復興政策「報徳仕法」の指導者としても広く知られている。
・民家の庭先に立つ常滑焼の二宮金次郎像(田上町吉田新田)
 加茂市田上町の境界付近は江戸時代から地元の粘土を使い、黒光りが特徴の「陣ケ峰瓦」を製造していたが、2000年ころ町から瓦屋が絶えてしまった。
 佐野一雄(76)さん宅も最近まで「陣ケ峰瓦」を製造していた。
 庭先に常滑焼の二宮金次郎像と一雄さんの祖父佐野竹治(初代竹治)の陶像が建てられている。
 銅像には「佐野家2代目当主である竹治(初代)は安政3年4月に生まれ、明治31年4月に瓦製造工場を創立・・・」と書かれている。
 二宮金次郎像といえば、銅やセメント、石で作られているのがほとんどで、常滑焼の二宮金次郎像は珍しい。
 常滑焼の金次郎像は、瓦職人だった父竹治(2代目竹治)さんから「一雄さんの愛知県常滑市の高校窯業科卒業記念に贈られた」。 
・田んぼの中の二宮金次郎像(長岡市寺泊:旧山ノ脇小跡地)
 黄金色に輝く田んぼの中に二宮金次郎像が建っていた。
 旧寺泊町立山ノ脇小学校は1964年の新潟地震で被害を受け昭和50年6月24日に近くの田尻地内に移転した。
 近くで農作業をしていた人に聞いた。
 学校の跡地は、集落の人が購入し田んぼとなった。
 その時、校舎の玄関前にあった二宮金次郎像はそのまま現在地に残した。
 二宮金次郎像を残すことで、ここに学びやがあったことの証を後世の人たちに伝えられるからと。
 学校の経緯については、廃校になった学校の正面玄関脇に石碑が建っていますよと。
 新築移転した山ノ脇小学校校も平成15年3月31日大河津小学校との統合で廃校となり、建物は現在寺泊山ノ脇センターとなっている。
 廃校となった校舎玄関左側に記念碑があった。
 ・創立:明治41年11月10日  ・移転:昭和50年6月24日
 ・閉校式:平成15年3月31日  ・卒業生:2428名
 と書かれている。
 旧校に残され二宮金次郎像も中越沖地震で台座が壊れ、他の場所へ移す話もあったが同じ場所に再建され。
・校庭に立つ二宮金次郎
 ・新潟市立内野小学校(新潟市内野町)
 ・新潟市立越前小学校(旧巻町)
 ・関川村立関川小学校(関川村
・廃校の跡地に立つ二宮金次郎
 ・川内小学校跡地(旧村松町
 ・下正善寺小学校跡地(旧高田市)
 ・南小学校跡地(旧中之口村)
 ・浦浜小学校跡地(旧巻町:台座のみ)
終戦直後までは、各地の小学校などに薪を背負いながら本を読んで歩く姿の二宮金次郎像が多く建てられていた。
時代とともに小学校などに建てられた像の多くは姿を消した。
戦前生まれの私には、薪を背負いながら本を読んで歩く姿の金次郎像を見つけると懐かしさを感じる。
ここにも二宮金次郎の像が (イラストを模写)