新潟県内の三大古墳めぐり

kanazu362012-09-13

9月6日胎内市教育委員会は、同市大塚にある古墳時代前期
(4世紀前半)の「城の山古墳」から銅鏡や勾玉など130点以上
の副葬品が出土したと発表した。
9月8・9日の両日同古墳の一般向けの説明会が行われたので
見学した。
古墳に魅せられ、菖蒲(あやめ)塚古墳と山谷古墳、古津八幡山古墳の三大古墳めぐりに出かけた。
・城の山古墳(胎内市大塚:9月8日)
 胎内市大塚城の山古墳で9月8・9日の両日一般向けの現地説明会が行われ、2日間で約2000人が見学に訪れた。
 1回の説明には、受付番号順に20人が約10分間の説明を受け見学した。
 同古墳は東西約41メートル、南北約35m、高さ約5メートルの楕円形の円墳。
 新潟市秋葉区の円墳「古津八幡山古墳(直径約60m)」、新潟市西蒲区竹野町前方後円墳「菖蒲塚古墳(全長約53m)」、に次ぎ県内で3番目に大きい古墳で、1997年に第1次調査が始まった。
 今回は第6次調査で今年4〜9月にかけて行われた。
 当初は、舟形木棺(長さ約8メートル)の遺物の一部を取り上げるだけの予定だったが、直径約9センチの銅鏡、ひすい製の勾玉、矢の入れ物靫(ゆき)など130点以上の副葬品が大量に発見されたため棺内の全てを調査することになった。
・菖蒲塚古墳(新潟市西蒲区竹野町:9月9日)
 菖蒲塚古墳は旧巻町竹野町の金仙寺境内にあり、その周辺は「越王」(こしわ)と通称されている所である。
  国指定史跡「菖蒲塚古墳」と書かれた案内板には、全長53mの前方後円墳で同形の古墳としては新潟県内最大規模をもち、日本海側沿岸部での北限あたる。
  4世紀後半の造営と推定され、角田山麓では山谷古墳(全長38mの前方後円墳)に続く首長墓とみられる。
  発掘調査は行われていないが、江戸時代に青銅鏡1面・勾玉1点・管玉7点が後円部から出土している。
  新潟県内では最大クラスで、日本海側で最北端に位置する柄鏡形の古式前方後円墳であり、1930年(昭和5)に国の史跡に指定された。
・山谷古墳(新潟市西蒲区福井:9月9日)
 旧巻町福井地区に山谷古墳がある。
 集落の氏神様である神明宮諏訪社脇に「山谷古墳入口」の案内板があり、山道を約300m進むと「山谷古墳登り口」に着く。
 木道の階段を登ると小高い丘に出る。
 「山谷古墳」と書かれた大きな石碑と解説板が設置され丘は綺麗に整備されていた。
 案内板には、
 全長38mの古式前方後方墳で、4世紀中ごろ造営と推定され、菖蒲塚古墳に先行する新潟県内最古の古墳である。
 被埋葬者は後方部中央に設置した長大な「割竹形木棺」に東枕で安置され、管玉7点、ガラス小玉34点、ノミ形鉄製品1点が副葬されていた。・・・と書かれている。
・古津八幡山古墳(新潟市秋葉区金津:9月9日)
 古津八幡山古墳は、信濃川阿賀野川に挟まれた新津丘陵に立地する。
 古津八幡山遺跡は、旧石器時代に始まり、弥生時代の終わりには、ムラの周囲に土を巡らせた本格的な「高地性環濠集落」として、この地域の中心的な役割を担っていた。 
 環濠に囲まれた範囲は南北400m、東西150mほど。
 部分的な発掘調査だが、竪穴住居が50棟以上、方形周溝墓・前方後方周溝墓などが確認されている。
 ・古津八幡山弥生の丘展示館
  会場の古津八幡山弥生の丘展示館には、「新津丘陵の自然」「蒲原の夜明け:旧石器・縄文時代」「邪馬台国の頃の古津八幡山弥生時代」「蒲原の王墓:古墳時代」「蒲原の製鉄基地:奈良・平安時代」のコーナに分けられパネルなどで説明されている。
 ・古津八幡山遺跡歴史の広場
  展示館を出ると、徒歩5分「弥生のムラ国指定史跡・古津八幡山遺跡」の看板がある。
  丘を登って行くと「古津八幡山遺跡歴史の広場」入口に「史跡古津八幡山遺跡」が建つ。
  木道の階段を進むと「古津八幡山遺跡歴史の広場」に到着する。
  広場では、
  ・方形周溝墓 ・前方後方周溝墓 ・竪穴住居(7棟) ・内環濠 ・外環濠 ・条溝
  などが見れる。
残暑厳しい真夏の2日間、新潟県内の三大古墳と山谷古墳めぐりに出かけ、古代史のロマンに想いを馳せた。
古代の勾玉や管玉が目の前に (イラストを模写)