亀田郷の昔の暮らしを今に伝える「暮らし展」

kanazu362012-10-25

低湿地帯だった亀田郷の人たちが、水とたたかった昔の暮らしを
写真や農具や道具で今に伝える「暮らし展」が、新潟市江南区
鍋潟新田の「杜の蔵」と江南区茅野山の「新潟市江南区郷土
資料館」で開催されていたので、10月16日見てきた。
・亀田郷とは
 新潟市中央区江南区・東区にまたがり、信濃川阿賀野川と小阿賀野川と新潟砂丘に囲まれ、鳥屋野潟を底とする輪中地帯の総称。
 地区の面積は、11154ha(田3829ha・畑634ha・その他11154ha)で、その3分の2が日本海の平均潮位より低い。
 ひとたび洪水に見舞われるとたちまち「芦沼」する。
 先人たちは、腰までつかりながら農作業をしていた。
 乾田でのコメ作りを悲願して干拓し、耕地整理をしてきた。
 亀田郷土地改良区の大事業が芦沼を乾田化した。
 土地改良以前は、「芦沼」や「地図にない湖」と呼ばれた低湿地帯。
 今も残る長潟・鍋潟・丸潟・泥潟などの地名が往時の苦労を物語る。
・水とたたかった亀田郷の人々写真展(杜の蔵)
 新潟市で開催の「水と土の芸術祭」の市民プロジェクトとして、忘れかけた水とのたたかいと土への想いそして甦る記憶“亀田郷の人々写真展”が杜の蔵で開催されている。
 会場のギャラリー「杜の蔵」は、昔の地主の屋敷の米蔵を改造して作られた。
 門をくぐると、大きな白い壁のギャラリーが右手に、広い屋敷内は竹藪で覆われている。
 鍋潟新田生まれの元教員の塚田一郎さん(1990年没)が、昭和初期、当時高額だったドイツ製のカメラを購入し、農家の日常を多く撮影した。
 杜の蔵の館主塚田美智子さんは、何千枚もの写真の中から今回は昭和10から30年代に撮影した亀田郷の人々や風景などを中心に選んで作品50点を展示しましたと。
 ・底引き網漁が終わって獲れた魚をおかずに食事 ・鍋潟新田大堀端から清五郎方面 
 ・三徳の開墾時の昼食風景 ・小松堀でヤナを作っている風景 ・底引き網漁
 ・部落総出で耕地整理作業 ・土蔵を造るため川舟で砂を運んでいるところ
 ・土蔵の地形がち(地固め)を終わって記念写真  ・子守をする少女
 ・出征兵士を村の総鎮守の神明宮での壮行会 ・尋常小学校の記念写真
 などなど。
 写真からは、悪水と闘った亀田郷の人たちの苦労が偲ばれる。
・亀田郷の農民の暮らし展(江南区郷土資料館)
 新潟市江南区茅野山に「江南区文化会館」が10月6日オープンし、郷土資料館も会館の中に移転した。
 郷土資料館の1階展示場コーナーには、亀田郷の農家で使われた春夏秋冬の農具、2階展示場コーナーには、亀田郷の農家の人たちが暮らしに使った道具が展示されている。
 ・亀田郷の農家で使われた農具
  ・田カンジキ ・箱カンジキ ・クワ ・スキ 投網 ・田植え枠 ・馬籠 ・箕 
  ・水車 ・臼 ・杵 ・ムシロ ・米俵 ・深グツ ・ミノ ・シュロぼうし 
  などなど。
 ・亀田郷の農家の人たちが暮らしに使った道具
  ・炭入れ ・消しつぼ ・十能 ・つけぎ ・火おこし 堀ごたつ ・火箸 ・行李
  ・蔵鍵 ・釜敷き 石臼 ・自在かぎ ・ハンダイ
  などなど。
  また、今では見ることのできない懐かしい囲炉裏を囲む居間が再現され道具が並ぶ。
  囲炉裏の脇に囲炉裏を囲む時の座順の図あり説明が書かれていた。
  奥を背にして主人の座る「横座」(ヨコジャ)、横座から見て台所に近い席は主婦が座る「嬶座」(カカザ)、その向かいは来客席の「客座・男座」、横座の向かいは「キシモト」で嫁や次男・三男・雇い人が座る場所と、立場によって席が決まっていた。
  昔のわが家も囲炉裏を囲み家族が座る位置が決まっていた。
上越地方に住んでいた私には、田んぼはみな乾田だと思っていた。
小学校の社会科の教科書で下越地方では、胸まで浸かって田植えをする写真を見て沼田のあることを知り驚いた記憶がある。
今思えば、あの写真が、芦沼と言われた亀田郷の田植えの様子だったのだと。
亀田郷の暮らしを知る写真や農具や暮らしの道具展を見て、低湿地帯で水とたたかい芦沼を乾田に変えた人々の苦労が偲ばれる。
古老が昔の芦沼を語る (イラストを模写)