巳年は大蛇伝説の里めぐりから

kanazu362013-01-03

今年の干支は巳。
大蛇伝説が伝わる新潟市中央区の「蛇松明神社」には、新年から
多くの人が参拝に訪れる。
大蛇伝説に興味を持ち大蛇伝説の里めぐりに出かけた。
・蛇松明神社の大蛇伝説(新潟市中央区白山・元旦)
 新潟市中央区白山神社本殿裏に大蛇伝説が伝わる「蛇松明神社」が祀られている。
 蛇松明神社の大蛇伝説は、
 信濃川の洪水のため白山一帯が大洪水に見舞われ、人々は自分の命を守るのもやっとというときに、信濃川の川中に一条の光り輝くものをみつけました。
 これはただごとではない、なにか神様のお告げではなかろうかと思い、当時の神主小林能登守直養が一心不乱に船をこぎ近づいてみると一匹の白い蛇が水におぼれて息もたえだえ、これは可哀想にとひろいあげ、神社の一本の松の梢に助けてあげました。
 すると、白い蛇は美しい姫へと変わり、「この御恩は決して忘れません。この神社の守り神となり末永くこの地の繁栄と難病苦難の人々を守るために祈ります」と言って、この世では到底見ることのできない美しい姫は美しい声を残し、姿を消してしまいました。
 その時、見る見るうちに老松の幹の皮は蛇のウロコのように変わり、今までやむことを忘れたかのように降り続いた雨は、大空の真ん中より一条の光が差したかと思うと、大空は一面に蛇のウロコの如く、雲は切れ始めたのであります。 
 そして雨はやみ、水は引き出したと言い伝えられております。
 この霊験あらたかなる松は、その日から蛇松明神さま、蛇松さまといわれ、毎日毎日お参りに訪れる人が絶えなかったそうであります。
 やがて、お参りに訪れる人々の間で蛇松さまの皮を煎じて飲めば万病たちどころに全快するという噂が広まり、毎日のように人が押し寄せ松の皮がむしり取られていきました。
 蛇松明神社の社の裏には、白蛇など4匹の蛇の置物と数本ある松の木の1本にしめ縄が飾られている。
村松慈光寺の「白山の大蛇伝説」(旧村松町蛭野・12月23日)
 駐車場から慈光寺参道の杉並木を進み滝谷川の霊樹橋を渡ると左側に「白山の大蛇伝説」の書かれたの石碑があり、慈光寺山門入口には「白山と大蛇伝説」の書かれた看板が立てられている。
 ・「白山の大蛇伝説」の石碑
  「昔、村松の白山に大蛇が住んでいて、洪水を起こしたり作物を荒らしたりして人々を苦しめていた。
  慈光寺を開いた高僧が祈祷したとこる、大蛇は川を下り海に向かったと言われている。
  その大蛇が通った跡が今の能代川(通称“九十九曲川”)となり、新潟まで下った大蛇は白山の地で息絶えてそこに祀られたという。
  現在の白山神社新潟市)にある“蛇松明神”がそれである」と書かれている。
  今ではこの大蛇が白山神社本殿裏の蛇松明神社に「蛇松明神」として祀られている。
 ・「白山と大蛇伝説」の看板
  応永年間(1395−1428)のこと、白山の奥地の池に住んでいた大蛇が、暴れて村人を困らせていたのを、傑堂和尚の読経によって、大蛇は俗世の苦しみから救われ池を埋めて立ち去りました。
  池の跡に現在の慈光寺を建立したといわれている。
  大蛇は能代川を下って新潟の白山神社まで来て息途絶えました。
  大蛇が楓(かえで)にしっぽを巻き一休みのとき使った石枕が「蛇枕石(じゃまくらいし)」として慈光寺の境内に残っている。
 ・蛇枕石
  「蛇枕石」は本堂前右側にあった。
  残念ながらしっぽを巻き一休みしたという「楓の木」は残っていなかった。
・番外:間伐材で制作した白蛇の木像(阿賀野市保田:12月23日)
 阿賀野市保田のヤスダヨーグルトの駐車場にNPO法人「ウッディ阿賀の会」のメンバーが間伐材で制作した干支の蛇の木像が展示されていると知り12月23日見てきた。
 全長5mの木像の白蛇を制作したのは、石塚広男(61)さんで阿賀野市の杉林で出た間伐材を鎖状につなぎ合せて、白いペンキを塗り白い蛇に仕上げた。
元旦に蛇松明神社の蛇と松を拝み、「白山の大蛇伝説」が伝わる冬の村松慈光寺を初めて参拝した。
今年は間伐材で制作した大きな白蛇の木像も見たのでわが家にご利益があるか?・・・ 。
今年の干支は巳 (イラストを模写)