「夢みる力」評伝乾電池王屋井先蔵
中学生のころ「発明発見の偉人伝」の本を
読むのが好きだった。
「味の素創始者鈴木三郎助」「豊田自動織機創始者豊田佐吉」
「真珠王御木本幸吉」などなど。
鈴木三郎助は昆布のうま味の正体がグルタミン酸であることを発見し「味の素」の
商品名で発売。
豊田佐吉は動力織機を製造、息子の喜一郎が豊田自動車を創立した。
御木本幸吉は真珠の養殖に成功した。
発明発見の偉人伝を読むと、失敗と苦労の連続から成功するまでの道のりに
人々は感動する。
2月2日新聞を開いた。
新連載小説「夢みる力」評伝乾電池王屋井先蔵が始まった。
作者は上山明博(1955年岐阜県生まれ)。
著書に「発明立国ニッポンの肖像」「ニッポン天才伝」などがある。
乾電池王屋井先蔵の名前を知ったのは、2006年11月11日の「電池の日」の新聞
記事だった。
11月11日を分解すると、電池の一種、乾電池の両極を示すプラス(+)とマイナス(ー)
になり、これを組み合わすと十一になる。
それで11月11日は電池の日。
日本で最初の乾電池は、明治20年(1887)に長岡藩の下級武士屋井先蔵(やいさきぞう)
によって発明された。
世界では、ドイツのガスナーが1886年に電解液を石こうで固め、持ち歩いてもこぼれない
電池を屋井より1年早く発明した。
インターネットで屋井先蔵を調べた。
屋井先蔵:越後長岡藩出身(現在の新潟県長岡市)
1863年(文久3)―1927年(昭和2)乾電池の発明者
1885年 電池で正確に動く連続電気時計に使用するため乾電池を発明する。
しかし貧乏のため特許を取得できなかった(当時の特許取得料金は膨大に高い
料金だった)。
乾電池を発売した当初の世論は「乾電池などという怪しいものは正確に動かないはずだ」
というものが大半を占めており、先蔵の乾電池は全く売れず、さらに持病の為に寝込む日が
続き、生活は貧窮を極めた。
そして不幸は続き、先蔵の乾電池のすごさを知った外国人が万博にて自分が発明した
ものだと主張した。
そのため、しばらく時間が経つまで世界で最初に乾電池を発明した人物は先蔵であると
認知されていなかった。
1910年 屋井乾電池を設立し、乾電池の本格量産にとりかかった。
筒型の金属ケースを用い、現在の乾電池のスタイルを確立、「乾電池王」とまで呼ばれた。
1927年 病気により死去(享年63)。
物語のはじまりは、
明治17年(1884)春、越後の峰々にはなお昨年の根雪が溶け残っていた。
脚半に草鞋(わらじ)のいでたちで路傍に積もった堅雪を踏みしめ、ひとり三国峠を登る
青年の姿があった。
歳は20、名は屋井先蔵という・・・。
作者上山明博さんは、乾電池王屋井先蔵を「夢みる力」でどんな人物像に描くだろうか。
先蔵の「夢みる力・失敗と苦労の連続から成功するまでの道のりに」・・・。
次回(9日)が楽しみ。
新聞を切り抜き本にする。
物を作る (イラストを模写)