街の中心十字路と四ッ角

kanazu362008-05-19

5月11日、NHKテレビ「小さな旅」で新潟市
“本町通り人情横町”を放送していた。
新潟商工会議所が新潟市の全八区の商店街を紹介した
「みんな大好き商店街」を発行した。
中央区商店街は古町界隈・東区商店街は石山・西区商店街は内野・南区商店街は白根・
北区商店街は葛塚・江南区商店街は亀田・秋葉区商店街は新津・西蒲区商店街は巻を。
新潟市の街の中心といえば、十字路と四ッ角を思い出す。
懐かしい古町十字路と小針十字路と内野四ッ角を探訪した。
・古町十字路
 昔の古町十字路は、「北光社」「住友銀行」「大和デパート」「?」だったと記憶する。
 今は北光社と大和デパートはそのままだが、二店舗は変わっている。
 仲間と飲食した懐かしい「越路会館」は、ガラス張りの商業ビルに生まれ変わっている。
・小針十字路
 昭和40年新潟の町に初めて勤めた。
 昭和40年代は、新潟の町が郊外へと大きく発展する時期と重なった。
 小針地区も1965年(昭和40)ごろから急速に発展し、小針十字路付近は
 「小針銀座」と呼ばれ賑わっていた。
 角に靴屋があり、すし屋などもあった。
 当時の店は今はもうなく駐車場と空き店舗になっており、昔の面影はない。
・内野四ッ角
 地元の人は、内野駅前通りと弥彦街道が交わる四ッ角を昔から親しみを込めて
 「内野四ッ角」と呼ぶ。
 四ッ角には、「やしち酒店」「室塚履物店」「あおやび商店」「伊藤肉店」がある。
 やしち酒店の鈴木徳義社長(72)は、「内野が発展したのは大きく三つの節目があった」
 という。
 一つは、1818年(文化15)からの新川の開発で延べ200万人が作業に携わり
 一挙に町が発展した。
 二つは、第2次世界大戦中に紡績工場や軍需工場が建ち、多くの工員が内野に
 住んだ時。
 三つは、1970年(昭和45)からの新潟大学の五十嵐キャンパスへの統合移転が
 始まった時。
 1955年(昭和30)ころは、内野の街には商店が300軒もあり活気があった。
 今は80軒ほどに減って空き店舗も目立つと。
 内野といえば酒蔵の街で、四つの酒蔵があった。
 弥彦街道沿いに「伊藤酒蔵(閉店)」「塩川酒造」「樋木酒造」「濱倉酒造」が。
 銘柄は「日本海」「越の関」「鶴の友」「朗」。
“栄枯盛衰”は、時代の流れ。
古町十字路も小針十字路も内野四ッ角も人影が減り往時の賑わいはない。
人は街から郊外の大型店舗へと流れる。
「みんな大好き商店街」のパンプを持って人情味豊かな商店街を歩いてみては。
気付かずにいた隠れた魅力ある新しい店の発見があるかも・・・

昔ここには (イラストを模写)