郷土の偉人などを紹介する町の取り組み

kanazu362013-04-19

4月12日新潟市中央区万代に新潟日報「メディアシップ」が
オープンした。
メディアシップの5階に6月4日新潟県出身の文化人が残した
業績を後世に伝える拠点施設「にいがた文化の記憶館」オープンする。
県内の各市町村では郷土の偉人などを紹介する取り組みが盛んだ。
・にいがた文化の記憶館のオープン
 新潟県が輩出した文化人や学者、そうした人材を生んだ地域の文化や歴史、観光などを案内する施設が6月4日新潟市中央区万代に新潟日報「メディアシップ」5階にオープンする。 
唱歌「夏は来ぬ」作曲家小山作之助を冊子で紹介
 唱歌「夏は来ぬ」で知られる上越市大潟区出身の作曲家小山作之助()1864〜1927)の生涯をまとめた子ども向けの冊子「日本音楽教育の母・小山作之助物語」を卯の花音楽祭実行委員会が編集し1000部作成した。
 冊子は上越市の全小学校や図書館に寄贈したほか大潟小学校の全児童にも配布された。
 小山作之助は生涯に1000曲以上の作品を残し、日本音楽教育の礎を築いたとされる。
・地域の歴史を後世に伝える「案内板」の設置
 上越市津有地区は日本郵便の父前島密の出身地。
 津有地区の住民が、前島のほかにも活躍した郷土の偉人に光を当て、地域の歴史を後世に伝えようと、案内板を作り偉人の生誕地など20カ所に設置した。
 看板は高さ約1.8m・幅約1.2mのアルミ製。
 紹介した郷土の偉人は、
 ・前島密(1835〜1919)
  日本の官僚、政治家で日本の近代郵便制度の創設者の一人で1円切手の肖像で知られ、「郵便」や「切手」や「葉書」という名称を定めた。
  その功績から「郵便制度の父」と呼ばれる。
 ・柳沢謙(1907〜1982)
  乾燥CGワクチン製造法の研究で功績があった医学博士。
 ・篠宮耕治(1893〜1979)
  農業の分野で自動もみすり機を開発。
 ・戸野目小学校創立の寺(蓮休寺)
  1873年(明治6)10月、教育に熱心な住民の力で、寺を仮校舎として授業が始まった。
 などなど。
燕市の名誉市民鈴木虎雄の少年時代に焦点を当てた企画展
 燕市の名誉市民で中国文学者鈴木虎雄の少年時代に焦点を当てた企画展が、燕市粟生津の長善館で開催されている。
 虎雄は私塾「長善館」の2代目館主鈴木綃軒(てきけん)の5男。
 10〜12歳のとき長善館で漢詩を学んだ際に使ったノート22冊が展示されている。
 (主に10歳のノート)
 3歳で百人一首を半分覚え、4歳で粟生津小学校初等科に入学し、8歳で卒業。
 用紙には父から細かく添削を受けた跡が残っている。
 学習方法の一例が記されている。
 ・まず日常の出来事などの作文を書く
 ・表現を直されて望ましい文章にする
 ・その文をもとに作法に則って漢文にする
 ・あるいはそれを詩にする
 などなど。
・番外:巻南小学校児童が地元の名物を紹介する小冊子作り
 新潟市西蒲区巻の巻南小学校の6年生が国語の授業の一環で、「故郷のよさを紹介しょう」「まきの宝をみつけよう」を教材にしょうと、地元の住民から聞き取りなどを行い、地元の名物を紹介する小冊子を作成した。
 作成した23冊の小冊子は、地元の交流館「囲炉裏」で展示されている。
 小冊子に紹介されている名物は、
 ・巻のとうろう流し ・みこし ・昔ののぞきからくり ・巻じんく
 ・あやめづかこふん ・弘法清水 ・たい車 ・舘竿燈
 ・海と夕日がきれいな巻 ・カーブドッチワイナリーってなあに?
 などなど。
新潟県出身の文化人が残した業績を後世に伝える拠点施設「にいがた文化の記憶館」が間もなくオープンする。
資料館などを訪ね、郷土の偉人などの功績を再認識してみては・・・。
郷土の偉人の功績を知る (イラストを模写)

春を彩る里の花めぐり

kanazu362013-04-17

新潟県内各地から春を彩る花だよりが届く。
近郷の里の春の花めぐりに出かけた。
・新津川の水仙新潟市秋葉区:新津川・4月14日)
 新津市の街中を流れる新津川。
 旧新津市(現新潟市秋葉区)の住民グループ「新津川水仙物語」やコミュニテイ協議会が、新潟県や市の補助金と企業の寄付金を活用して3年前から、新津川の堤防に水仙の球根を植える活動を進めてきた。
 2010年秋には、区内外から約250人が参加し、秋葉区の中心部を流れる新津川の右岸200mに水仙球根約1万6000球を植えた。
 2012年秋には、秋葉区の中心部を流れる新津川の左岸200mに水仙球根約1万4000球を植えた。
 今では新津川の山先橋と新町大橋のそれぞれ下流両岸200mに合計約4万5000球が植えられている。
 今年も新津川の堤防に水仙の黄や白の花が咲き始めた。
 花の咲く堤防には「新津川をふるさとの川に」「スイセンに愛を」「スイセン」などの看板が立つ。
 新津に新しい名所が誕生。
・レンギョ並木(旧潟東村の農業排水路:4月14日)
 新潟市西区潟東(旧潟東村)の有志らで作る「大樹を育てる会」では、村の地域おこしにと1998年と2002年に潟東出張所に近い市道沿いの農業排水路の両脇約1キロに、ソメイヨシノ128本とシダレザクラ73本を植え、桜並木を作った。
 同会では「春の花街道の新名所」に2011年3月、桜並木の市道反対側(右側)にレンギョの苗木840本を植えた。
 桜並木のソメイヨシノシダレザクラはまだつぼみだが、レンギョ並木の花は今が満開で農業排水路脇の道路の片側を黄色に染める。
・白根根岸の桜並木(新潟市南区根岸:4月14日)
 国道8号線を新潟から三条方向に走り大野大橋を渡り旧白根市に入ると国道に平行して排水路の左側に桜並木が続く。
 桜並木の桜はまだ3分咲き。
 桜並木は、下塩俵から山崎興野までの約4.2キロ。
・白根根岸の桃の花(新潟市南区根岸:4月14日) 
 JA新潟みらいによれば、白根の桃畑の総面積は、84haで「日の出」「あかつき」「白根白桃」等10品種を栽培、生産量は約1200トンで新潟県下第1位。
 国道8号線を新潟から三条方向に走り大野大橋を渡り旧白根市に入ると国道に平行して排水路の左側に桜並木が続く。
 桜並木は、下塩俵から山崎興野までの約4.2キロ。
 桜並木と平行して桃畑が点々と続く。
 花はまだつぼみ。
 農家の人は、桜の開花が遅れ今週末の20日か21日頃が桜と桃の花が満開となり素晴らしい花の景色が見られるのではないかと。
ユキヤナギ
 新潟市西蒲区の上堰潟の遊歩道にユキヤナギの白い花が満開。
 ユキヤナギは日本や中国に分布する落葉性の低木。
 白い花を雪が積もったように咲かせるところからユキヤナギと呼ばれる。
 白い花が散ったあとの地面は、雪がパラパラと積もったように見える。
近郷の里の春は、梅・桜・桃・梨の花など色とりどりの花が咲く。
里の春の花に癒され心が和む。
里の春は (イラストを模写)

古里の懐かしいお城三城

kanazu362013-04-15

古里上越市高田は、来年(2014年)高田城開府400年祭が
行われる。
上越市には春日山城・福島城・高田城があった。
古里のお城三城を新聞や資料などで調べた。
春日山城
 春日山城は、南北朝時代越後国守護である上杉氏が越後府中の館の詰め城として築城したのが始まりとされる。
 1507年(永正4年)、守護代であった長尾為景が上杉定実を擁立して守護上杉房能を追放した。新守護として定実が府中に入ると、長尾氏が春日山城主となった。
 上越市中部にある春日山山頂に築かれ、天然の要害を持つ難攻不落の城とされ、為景、晴景、上杉謙信長尾景虎)、上杉景勝の四代の居城となった。
 しかし、上杉景勝豊臣秀吉の命で1598年(慶長3年)会津へ移った後に越後を支配した堀氏は、政治を取り仕切るに不便として直江津港の近くに福島築城を始めた。
 9年後の1607年(慶長12年)子の忠俊が春日山城を廃し福島城に移ったため春日山城は250年余りでその歴史を閉じた。
 春日山城は天下の名城にふさわしく規模が大きく、遺構は春日山の全域に及び、面積は500ヘクタールを超える。
 上越市郷土研究会会長花ケ前盛明(75)さんが、今年1月(月2回)から地方紙新潟日報で「越後史跡紀行」を連載している。
 第1回目が「春日山城跡」であった。
・福島城
 上杉景勝会津移封の後に春日山城主となった堀秀治により、山城である春日山城に代わるものとして築城が始められた。
 その正確な時期は明らかでないが、1600年(慶長5年)以降まもなくであろうとされる。
 秀治の死後家督を継いだ堀忠俊の代に完成し1607年(慶長12年)に、忠俊は春日山城を廃して福島城へ移った。
 城下町建設にあたっては、春日山城下や府中から多くの町人が移住したと伝えられる。
 1610年(慶長15年)堀忠俊の改易後に越後の領地を継承した松平忠輝が福島城主となった。
 忠輝は1614年(慶長18年)、関川を遡った内陸部に高田城を築城。
 これにより福島城は廃城となった。
 高田城下の町人町には、福島城下から移転したという由緒を伝える町が少なくない。
 廃城にして高田城に移った理由は、川に挟まれた場所が故に度々水害にあった為と言われているが、一説には忠輝の「波の音で眠れない」と言った我侭によるものとも言われている。
・高田城
 徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって築かれた近世の典型的な平城で、城地の縄張りと工事の総監督は忠輝の舅の伊達政宗が行った。
 高田城は、松平忠輝が1610年(慶長15年)、福島城主になると間もなく高田平野にある菩提ヶ原に新城を築いた。
 築城は1614年(慶長19年)3月に始まり、7月には忠輝が福島城を廃し高田城に入った。
 高田城は、石垣を構築せず、天守閣も造らなかった。
 1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。
 大坂冬の陣(1614年)の直前で工事を急いだことと、付近に石材がなかったことなどによる。
 ところが、忠輝は家康の怒りに触れ、入城わずか2年後の1616年(元和2年)、地域を没収された。
 以後坂井家(10万石)・松平忠昌(25万石)・松平光長(26万石)・稲葉正通(10万3000石)・戸田忠真(6万7850石)・松平越中守家(10万3000石)を経て、1741年(寛保元年)、榊原家が15万石で入城し、廃藩置県まで榊原家は6代、約130年続いた。 
 明治以降、陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。
 本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。
古里高田には22歳まで過ごした。
春日山城址は小中学校時代の遠足コースで何回も登った。
高田城址公園は小学校時代の写生場所であり、また、お花見の会場でもあり何回も行った。
廃城となった福島城は、本丸があったとされる場所に古城小学校があり、地元ではいまでも古城という地名で呼ばれている。
懐かしい春日山城・福島城・高田城の三城は、幼いころの記憶に残る。
春日山城址は遠足で登った山 (イラストを模写)

ながいきストリートを歩き川柳を楽しむ

kanazu362013-04-13

加茂市商店街協同組合は、春と秋恒例の「ながいき川柳」の
作品を募集し、4月1日から入選作品約530句を発表した。
入選作品はJR加茂駅前から続く約1キロの商店街の
「ながいきストリート」のアーケードの両側に飾られていると知り
4月9日見てきた。
・ながいきストーリーを歩き川柳を楽しむ
 28回目となる「ながいき川柳」の春のテーマは「喜び」。
 県内外から寄せられた610句の中から入選作品530句が短冊に書かれ、加茂駅前商店街から若宮商店街までの約1キロの「ながいきストーリー」のアーケード両側の支柱に飾られている。
 私も4年前から応募しており、4月9日約1時間ながいきストーリーを歩き入賞全作品を見てきた。
 ・婆ちゃんに そっくりさんの 孫がいる(最優秀) 
 ・ばあちゃんの あったかい手と 散歩する(特選)
 ・産院の 待合室で 祖父になる(特選)
 ・喜びを みんなに上げる ハイタッチ(秀逸)
 ・爺ちやんの 愛車軽トラ 春よ来い(秀逸)
 などほのぼのとした心温まる作品ばかり。
 作品の中に私の「初びなを 孫に贈れる喜びを」と「シマリスと 喜び遊び 孫笑顔」も飾られていた。
 投稿者の喜びの気持ちを川柳に表現した「大通り 柱に目立つ 我が一句」もあった。
・加茂山リス園へ
 冬季休業していた加茂市宮山の加茂山リス園が4月7日オープンした。
 冬眠から目覚めたばかりの「シマリス」約100匹。
 大きさは、ネズミより少し大きい。
 背中に5本の黒い縞がある。
 雨の降っていない日には、このうち約50匹が園内に放される。
 青空の下、飼育棟から放し飼いにされた約50匹のシマリスが柵内を走り回る。
 木に登るシマリス、地面を走るシマリス
 リス園を遠足で訪れた園児たちが、シマリスの動きに「かわいい」と。
・雪椿園へ
 加茂市の花「ユキツバキ」。
 加茂市の雪椿まつり実行委員会主催の「第47回雪椿まつり」が、4月13日から29日まで雪椿園で開催される。
 開催前の4月9日会場となる加茂山公園の雪椿園を訪れた。
 雪椿園には雪椿が約100種、1300本も植えられている。
 今年は寒さの影響で園内の雪椿はまだ咲き始めたばかり。
 しかし、会場となる園内に飾られた紅白の提灯が風に揺れていた。
加茂市のながいきストーリーを歩き、加茂公園のリス園と雪椿園を訪れ一足早い春を楽しんだ。
あった!!私の作品も (イラストを模写)

開通した新しい道路を走る

kanazu362013-04-11

雪どけとともに、新潟県内に主要地方道「岩室バイパス」と
国道49号「揚川改良」と市道信濃川右岸線開通」が開通した。
開通したばかりの新しい道路をドライブした。
・岩室バイパス開通(4月1日)
 新潟市西蒲区の岩室温泉街を迂回し、新潟市中心部と弥彦村を結ぶ主要地方道「岩室バイパス」が3月23日開通した。
 岩室バイパスは、岩室地域の橋本―金地間の1.94キロ。
 新潟県が2004年度に事業着手し、2007年から政令指定都市になった新潟市が引き継いだ。
 片側1車線で歩道があり、総事業費は13億7000万円。
 新バイパスの開通で、温泉街を通る幹線道路の交通渋滞緩和が期待される一方で地元の観光関係者からは、温泉街の交通量が減り来客数の減少を懸念する声も出ている。
・国道49号線新ルート「揚川改良」が開通(4月1日)
 阿賀町の国道49号で、岩石崩壊などの危険性が高い区間を回避する新ルート「揚川改良」が3月30日開通した。
 新ルートは国道49号の阿賀町津川―黒岩間にできるルートで、阿賀野川右岸を通る大牧―黒岩は、地形的に危険なため、左岸に移して回避する延長7.5キロの道路で、2000年着工、総事業費400億円。
 揚川改良とは、国道49号の土砂災害、岩石崩落及び雪崩等の危険性が高い本尊岩・谷花地区を含む事前交通規制区間(連続雨量150ミリ以上)を回避し、安全・安心な交通を確保することを目的とした道路。
 道路の安全性や走行性が改善される一方で、土砂崩落等の危険性が高い国道49号阿賀町大牧から黒岩間は、3月30日午後3時から通行止めとなった。
 新ルートの開通で阿賀路が大きく変わる。
信濃川右岸線開通(4月1日)
 新潟市中央区上所1の信濃川右岸線昭和大橋から越後線鉄橋までの区間約500mが4月1日開通した。
 道路は2車線で幅約7m。
 2004年の7.13水害の影響で遅れていた上所地区のやすらぎ堤整備も進み、2011年から新潟市が道路工事に着手、総事業費約9億円。
 信濃川右岸線開通で、県庁周辺から万代地区まで川沿いのほぼ直線道路で結ばれたことから、利便性の向上と渋滞緩和が期待される。
・番外:国道116号の防雪柵の収納作業終わる
 新潟市西蒲区の国道116号で、地吹雪による視界不良を防ぐため、道路に沿って設置されていた防雪柵の収納作業が3月29日終わった。
 防雪柵は高さ3.5mで国道116号の天竺堂から善光寺地区の計約2キロに設置されていたもので、作業員は鉄板を折り畳み、支柱を倒して国道脇に収納した。
 新潟市内の国道では、西区や南区にも防雪柵あり、3月中にすべて収納作業が終了した。
・番外:大牧地区の鍾馗 (しょうき)大明神を参拝
 国道49号の新ルート開通で大牧―黒岩間が通行止めとなり、大牧地区から三川方面へは抜けられなくなり袋小路となった。
 袋小路となった大牧地区に鍾馗大明神が祀られていると知り参拝した。
 大牧地区には鍾馗大明神が祀られており毎年3月2日に鍾馗まつりがおこなわれる。
 鍾馗まつりは、大牧や、近郷の人々が自分の身体の具合の悪い箇所を紙に書き、その紙で藁(わら)を包み、藁束(わらたば)を持ち寄って鍾馗像に作り込んで貰い出来上がった藁の鍾馗像を人々によって村境までかつぎあげ、神殿に納めるまつり。
早春の越後路、開通したばかりの新しい道路をドライブし、鍾馗大明神を参拝てみては・・・。
旧道を走り鍾馗大明神を参拝 (イラストを模写)

白い妖精の水芭蕉とレンギョ並木

kanazu362013-04-09

季節は4月、里から水芭蕉やレンギョの花だよりが届く。
春の花、五泉水芭蕉公園の水芭蕉と潟東の農業排水路に咲く
レンギョ並木などを見てきた。
・白い妖精の水芭蕉
 ・五泉水芭蕉公園(五泉市菅出・4月2日)
  平成8年3月に五泉市菅出の菅名岳のふもとに「ふれあい自然の里・水芭蕉公園」がオープンした。
  案内板には、「水芭蕉公園は、五泉市の東南、菅名岳の麓にあり、昔から水芭蕉が自生していた湿地帯。
  面積は2.1ha、木道の長さは480m、水芭蕉の植栽数は約3万株。
  毎年3月下旬から4月上旬に開花する。
  と書かれている。
  平日であったが水芭蕉公園には多くの人が訪れ、湿地一面に咲く白い妖精の水芭蕉の花を楽しんでいた。
  湿地帯の木道と脇道を散策した。
  土手には、白い水芭蕉の花に負けじと雪割草やショウジョバカマやカタクリの花が咲いていた。
 ・弥彦公園水芭蕉弥彦村・4月2日)
  弥彦公園水芭蕉園の水芭蕉はまだつぼみ。
 ・満幅寺の水芭蕉新潟市西蒲区仁箇・4月2日)
  旧巻町仁箇にある萬福寺曹洞宗のお寺で慶長4年(1599年)に開かれたが、それ以前は真言宗の寺だったという。
  御本尊は「聖観音」、一般に曹洞宗では「釈迦如来」を御本尊とするので観音様は珍しい。
  満福寺は「だるま寺」又は「水芭蕉の寺」として有名。
  寺院の境内に入ると小さな池があり池に再来橋(石橋)が架かっている。
  橋の左右の池には水芭蕉が群生しているがやっと花が咲きはじめたばかり。
  2体の石仏の小坊主が、のんびりと釣り糸を垂らし池で釣りをしている。
レンギョウ街道とレンギョ並木
 ・レンギョウ街道
  新潟県レンギョウ街道といえば旧紫雲寺町が有名。 
  紫雲寺町の中心部を県道新潟―新発田―村上線が走る。
  通りに面した家々にレンギョウが植えられ、春は黄色い花が咲きレンギョ並木となる。
  レンギョウはモクセイ科の低木で、英名ではゴールデンベル(黄金の鈴)と呼ばれる。
  レンギョウの花咲く通りは別名「レンギョウ街道」と呼ばれるところが多い。
 ・レンギョ並木(旧潟東村の農業排水路:4月2日)
  新潟市西区潟東(旧潟東村)の有志らで作る「大樹を育てる会」では、村の地域おこしにと1998年と2002年に潟東出張所に近い市道沿いの農業排水路の両脇約1キロに、ソメイヨシノ128本とシダレザクラ73本を植え、桜並木を作った。
  同会では「春の花街道の新名所」に2011年3月、桜並木の市道反対側(右側)にレンギョの苗木840本を植えた。
  桜並木のソメイヨシノシダレザクラはまだつぼみ。
  レンギョ並木の花がちらほらと咲き始めた。
  レンギョの花が咲くと並木は黄色に染まる。
・番外:五泉菅出の薬師堂を参拝(五泉市菅出・4月2日)
 五泉水芭蕉公園脇の山裾の小高い地点に、薬師堂と熊野神社が祀られている。
 薬師堂の脇に「薬師如来の由来」と書かれた掲示板がある。
 今から450年ほど前、源平の戦いの敗れた源氏の落武者2人が平家の追ってお逃れ、菅出の洞照院に数日間逗留した。
 寺を去る時「これは高貴の名僧、行基がきざんだ薬師如来である。丁重にお祀りしてほしい」といって立ち去った。
 住職が菅出のミ山の裾の小高い地点に小さなお堂を建立し遷座した。
 お堂の前に湧出する清水が流れ、周辺は水芭蕉に群生におおわれた。
 ここを流れる清水は霊泉と呼ばれ、薬用としてもちいられ効果てきめんに平癒、これ皆薬師如来によるものとあがめられた・・・。
 と書かれている。
白い妖精の水芭蕉とレンギョの黄色い花が、花を見に来た人たちに感動を与える。
湿地が白い水芭蕉の花で (イラストを模写)

桜の開花と亀田の梅まつり

kanazu362013-04-07

一昨日5日は二十四節季の「清明」で、万物がすがすがしく
明るくなる時季。
4月5日、上越市高田公園の桜が開花した。
かめだ梅まつりが今年も3月30日から始まった。
まつり初日の3月30日「梅の路散策コース」を歩き、梅の花を見てきた。
上越市高田公園の桜が開花
 上越市高田公園で「高田城百万人観桜会」が4月5日から始まった。
 4月5日、上越市上越観光コンベンション協会は高田公園の桜が開花したと発表した。
 平日より3日早く、豪雪で開花が遅れた昨年より11日早い。
 観桜会開催初日の開花に関係者は「絶好のタイミング」と。
 これから県内各地から桜の「花だより」が届く季節に。
・かめだ梅まつり(新潟市江南区亀田地区・3月30日)
 毎年恒例の「かめだ梅まつり」が3月30日から始まった。
 梅まつりは今年が第13回目。
 亀田は「越の梅」と「藤五郎梅」の発祥の地で、新潟県内有数の「梅」の生産地である。
 江南区役所の憩いの庭には「越の梅」の原木と「藤五郎梅」の古木が植えられている。
 実の収穫を目的とする亀田地区の梅の花は、観賞用の花梅とは違い、薄紅色の可憐な花を咲かせる。
 3月31日午前9時から梅の路散策コースのスタンプラリーのイベントが開催される。
 予報では31日は朝から雨とのことで前日の30日、一足速く梅の路を散策した。
 江南区役所前の憩いの庭の「藤五郎梅」と「越の梅」はまだ花が咲いていなかったが脇にある紅梅の木の花は満開。
 満開の紅梅の花に見送られ案内看板にそって散策コースを歩いた。
 梅畑の梅は、まだつぼみで畑の木々の花がやっと咲き始めたはかり。
 農家の人が梅畑の中で枝の剪定をしていた。
梅畑が満開の花に覆われるのはもうすぐ。
梅の花が終われば里も桜の花が咲く。
紅梅の木は満開 (イラストを模写)