先祖のルーツを探る楽しみ

kanazu362007-03-01

2月28日の新聞の訃報欄に「柔道一直線
師匠役で人気の俳優高松英郎(77歳)死去と。
高松さんは、1969年の大河ドラマ天と地と」で
上杉謙信石坂浩二)の伝役金津新兵衛を演じた。
世間には金津姓は少なく知る人も少ない。
ドラマで高松さん演ずる金津新兵衛が人気で、金津姓も少しは知られるようになった。
職場で同姓の私は「新兵衛、新兵衛」と呼ばれた。
先祖のルーツーを知りたいと金津姓を調べた。
・金津一族(日本家系家紋研究所刊ー昭和60年7月吉日発行)
 どこで調べたのだろうか、日本家系協会から「金津一族」限定50部発刊と
 手紙が届いた。
 購入した。本には限定番号17と表示されている。
 書き出しは「越後国源姓金津氏、越後国蒲原郡金津邑に起る氏なり・・・、
 この氏は、本姓は清和源氏なり。・・・」と。
・「堀出神社」思考ー金津氏と新津氏ー(小林郡司著)
 職場の機関紙に先輩が寄稿した。
 著には、金津姓は源義家の三弟の平賀有義が蒲原の地金津郷に入り金津姓を名乗る。
 一族は、金津と新津の両家に分かれる。
 上杉謙信に仕え、謙信から「金津・新津の両家は、わが家臣ではなく客将である」と
 厚く遇した程の当時越後の名族であった。
 謙信の幼時の伝役金津新兵衛義旧(高松英郎役)は、金津一族で妻は謙信の乳母で
 あった。
 謙信没後の「御館の乱」で、金津一族は上杉景虎方に見方、新津一族は上杉景勝方に
 見方した。
 景虎は破れ、景虎方に見方した金津一族は高田に土着して帰農した。
 終戦直後は、わずか3軒であった金津を名乗る家も、最近の電話帳で見ると20数軒を
 数える。と結んでいる。
菩提寺大厳寺と過去帳
 菩提寺大厳寺住職の話によれば、金津一族は福井城主松平家が福井から越後高田に
 移封の際、菩提寺大厳寺とともに檀家衆の一員として一緒に移住した桶職人の家系
 である。と
 過去帳を見た。
 過去帳には1748年(延享5年)9月14日に先祖の戒名が書かれたいる。
 菩提寺大厳寺本堂正面建物と横幕には、三つ葉葵が描かれている。
先祖のルーツを探り分かった。
先祖は、戦国時代「御館の乱」で敗れた武士の金津一族ではなく、江戸時代福井城主
松平家とともに高田に移住した桶職人の金津一族であることが。
越後国蒲原郡金津邑は、旧新津市金津(旧新潟県中蒲原郡金津村)で金津という地名は
まだあった。
金津村の古老に聞いた。
村には、金津姓は一軒もなく金津のことは分からない。と
金津村は、今は新潟市金津(旧新津市金津)となっている。
金津の郷は、石油の里の金津、中野邸の金津(石油王)、県立植物園の金津等と
呼ばれている。
福井県にも金津町のあることは知っていたが、まだ訪ねたことはない。
我が家の家紋は、左三つ巴。
先祖のルーツ探りも楽しからずや。
我が家のルーツは (写真を模写)