「米百俵の地」越後三根山藩を歩く

kanazu362007-09-20

小泉首相は、2002年5月7日の
所信表明演説の中で越後長岡藩の「米百俵の精神」を
引用した。
道教室の先生で知人である倉地さんは、昔「倉地家の先祖は
越後三根山藩の家老だった」と話していた。
インターネットで越後三根山藩を調べたところ、越後三根山藩の家老職に倉地氏の
名前があった。
米百俵の地」を知るため9月13日、旧巻町峰岡(現新潟市西蒲区峰岡)の
越後三根山藩を訪ねた。
越後三根山藩は、廃藩置県まで三根山牧野家11代およそ240年続き、峰岡県を経て
新潟県に併合された。
越後三根山藩は、丹後の峰山藩とまぎらわしいため、明治3年(1870)明治政府により
峰岡藩と改名された。
越後三根山藩陣屋址は、現在三根山藩址公園となっている。
・越後三根山藩
 越後三根山藩は、長岡藩牧野家の創主牧野駿河守忠成公の4男定成公が、寛永11年
 (1634)18歳で将軍にまみえ内高1万1千石(表高6千石)の分地の沙汰を受け
 越後三根山藩の領主となった。
 文久3年第11代忠泰公の時代に漸く許可が下り1万1千石の正式な大名となった。
米百俵
 戊辰戦争で本家長岡藩は敗れ、城も町も焼かれ困窮に陥った。
 本家の窮状に三根山藩主忠泰公が明治3年(1870)4月から5月初めに君臣・領民
 一体となって長岡藩を救うべく「米百俵」を送った。
三根山藩
 お城はない。
 藩庁(陣屋)跡は、現在三根山藩址公園となっている。
 公園内右側に三根山藩の資料庫がある。
 「米百俵の碑」や剣豪・知名人等の石碑が建つ。
 公園の周囲は桜の木で囲まれ、園内は東屋・ゲートボール場・バーベキュー施設・遊具
 などもある。
・入徳館野外研修場
 忠泰公は、藩校を開校し校名を「入徳館」と名づけた。
 入徳館の名称は、昭和53年3月まで続いた。
 文武両道であった藩校から入徳小学校となり現在は学習とスポーツの施設に。
・三根山神社
 三根山藩牧野家ゆかりの神社。
 社殿右側に樹高20m、幹周6mの大欅があり、新潟市の保存樹に指定されている。
 道路を隔て峰岡大神宮があり境内には立派な舞殿ある。
・船渡橋
 船渡橋の脇に船着場と船渡神社がある。
 かつては、近くの三根山藩蔵屋敷があった。
 米百俵もここから積み出され矢川・西川・信濃川を経由して長岡へ搬送されたと
 いわれる。
・一山寺(三根山藩主の菩提樹
 牧野家の家紋「三葉柏」を掲げた寺院。
 二代藩主忠清公が三根山藩牧野家永代の菩提樹として一山寺七代目大順上人の代に
 現在地に移した。
 歴代三根山藩主の墓がある。
米百俵の地「越後三根山藩」のことを知るために三根山(現峰岡)の集落を歩いた。
三根山藩址公園前を過ぎれば、新潟ゴルフクラブがある。
三根山藩址公園の背後には角田山がそびえる。
国道460号線を日本海に向かって進めば福井のホタルの里が、その先はじょんのび館、
平成福寿大観音へと。
五ケ峠を越えると五ケ浜集落が。
目の前は日本海
遠くに佐渡の山並みが。

集落を歩く (イラストを模写)