信濃川左岸から中州の馬越島を眺める

kanazu362007-10-07

昭和54年から与板町(現長岡市)に3年間
住んでいたが、信濃川の中洲に馬越島が
あるのを知らなかった。
10月4日の新聞に、与板橋上空から信濃川下流方面を
撮影した「馬越島」の写真が紙面を飾る。
信濃川中洲に稲刈り跡が残る「馬越島」の風景が。
新潟地図情報(新潟日報事業社刊)で与板町の地図を調べた。
信濃川与板橋下流に大きな中州があり「馬越島」と書かれたいる。
10月5日、馬越島を見るため与板町岩方を訪れた。
国道116号線の大河津橋を左折し、主要地方道長岡・寺泊線を信濃川に沿いに上流の
与板橋方向に向かって走った。
岩方バス停に近づくと左側に、信濃川の中洲に浮かぶ大きな「馬越島」が見える。
堤外地の田畑を横切り川岸に出た。
目の前に大きな中州(馬越島)が。
畑で1組の老夫婦が、食用菊(カキノモト)の手入れをしていた。
「できはどうですか」「今年は猛暑の影響でだめです。収穫は2週間後です」と。
馬越島で耕作する人を紹介してもらえませんか。
私が、耕作する三人の中の一人です。
土手の向こうの岩方の集落に住んでいます。
老人は、与板町岩方、農業高橋春三(80歳)。
島の大きさは、約50ヘクタールあります。
耕作地は、12ヘクタールで私は3町歩耕作しています。
昔は、岩方や隣集落の馬越の人たちが船で島に渡りコメを作っていました。
今は三軒だけになりました。
馬越に住む古老からきいた話では、昔島に人が住み「二箇村」と呼ばれ稲荷神社も
有りました。
今神社(祠)は、岩方集落に移し祀っています。
小さい祠ですが、毎年5月3日に祭りを行います。
信濃川の洪水に悩まされた村人は離村していきました。
村人の多くは、巻町に移り二箇村を作りました。
巻町二箇に住む人たちは、その子孫ではないかと言われています。
隣集落の馬越に中州の二箇村から移住したといわれる人が住んでいます。
石丸という爺さんです。
会えば面白い話が聞けますよ。
私たちがコメを作っていたいた頃は、ツツガムシの被害に悩まされました。
「コメ作るのか、カカ(妻)殺すのか」と言われた時代です。
ツツガムシにかまれると40度の高熱が出ます。
向こうに、島に渡る船着き場が有り渡し船もあります。
今は3隻あります。
船着き場は、整地されており少し広く車も止められる広場になっている。
渡し船3隻と砂利船1隻が係留されていた。
対岸の中洲の船着き場も見える。
与板町馬越には「越乃湯」という鉱泉宿がある。
昭和55年与板に勤務したとき休暇を利用して家族くつろいだ。
東京の兄夫婦も招待した。
あのとき「馬越島」のことを知っていれば・・・
二箇村出身の石丸という爺さんに会って「馬越島」のことをもっと聞きたい。
船着き場から、馬越島を眺め「中州の上流」と「中州の中央」と「中州の下流」の
3枚をデジカメで撮った。

あの馬越島は (イラストを模写)