飛砂防止にマサキを植樹

kanazu362008-06-17

新潟砂丘は、県北の岩船海岸から角田浜までの約80キロ、
幅は約10キロと日本一広い。
昔から飛砂の被害に悩まされる新潟の人々。
新潟西区赤塚地区の農家が「マサキ」を挿し木で育て、
農家と新興住宅地の住民が協力して苗木を砂地に植林し飛砂の被害防止を図ろうと
「赤塚地区飛砂対策協議会」を2008年3月19日発足した。
6月11日赤塚地区飛砂対策協議会のあるJA新潟みらい赤塚支店を訪ね挿し木で
マサキを育てている現場を見てきた。
・マサキの挿し木で苗木作り
 マサキ:日本・中国・朝鮮の原産である。
 海岸近くに自生する常緑低木で、耐寒性・耐潮性に優れ、樹勢強く丈夫でどこでも育つ。
 赤塚地区飛砂対策協議会事務局の市橋由則さんは、昔から赤塚地区の人々は戸々に
 「マサキ」を植え飛砂防止に努めてきた。
 赤塚地区飛砂対策協議会では、農家と新興住宅地の住民が協力してマサキを植林し
 飛砂の被害防止に取り組む。
 計画では約1万本のマサキを育て植林する。
 マサキの苗木は1本約750円と高額であることから挿し木で増やし農家に安価で配る。
 先日農家と住民が協力しマサキの枝先約15センチを採取し、葉をもぎ・茎を削り
 約3500本を苗床に植えた。
 挿し木を砂地に植林するまでには約4年くらいかかる。
・マサキの砂防林
 「赤塚地区ならどこでもマサキの砂防林は見られます」と地図で中権寺地区の場所を
 教えてくれた。
 農作業中の農家の人が「あれがマサキの砂防林です。この付近は西よりの風が多く
 北からの風は比較的少ないのでマサキは畑の西側に植えられています」と。
 高さ2・3mくらいのマサキ並木の中にクロマツも植えられている。
・新潟海岸砂防の歴史
 インターネットで新潟海岸砂防の歴史を調べた。
 ・江戸時代
  昔から、新潟海岸に風が吹けば「砂ふぶき」が起こり、何度も家が砂で埋まったり
  田畑の作物は砂に埋るなどの害に苦しめられてきた。
  歴代藩主は、その対策に頭を悩ませていた。
  ・「すだて」工法
   牛膓金七という町民が、竹やヨシで編んだ「すだて」を砂浜に立てて砂を止め
   砂丘を人工的に作り出し、風を弱めた。
  ・防砂林
   砂丘の後側にグミの木や冬でも葉の落ちないマツを植えて大きく育て、風と砂の
   被害を少なくした。
  ・川村修就新潟奉行の松の植林
   1843年川村修就新潟奉行は、海岸の木を切ることを禁止し、6年間で約3万本 
   の松の木を植えた。
   1851年には新潟の海岸全域に砂防林が完成した。
 ・明治時代
  新潟の町の人口も増え、住宅や学校や病院を建てるため多くの砂防林が切られ
  砂の被害もまた大きくなった。
  そんな中、新潟市湊小学校では、先生・児童・卒業生がお金を出し合い500本の
  マツの苗を植えました。
  これがきっかけとなり、マツ植えは新潟市内の小学生へと広がりました。
  明治44年には新潟市の小学生全体で植えられたマツは全部で1万本にもなった。
 ・昭和時代
  昔の人が、長い年月をかけて「すだて」工法やグミの木やマツの木の植林で砂の
  被害を抑えてきた。
  現在これらの木を「保安林」として県と市で管理している。
  平成17年度新潟地域振興局では、新潟市において約4万本のクロマツを植え
  砂を止めて「すだて」を約13000m作った。
昨年10月13日青山海岸(新潟市)で開催された北陸地方整備局信濃川下流河川事務所
主催の「にいがたなぎさの植物そだて隊」のイベントに参加、コウボウムギ・コウボウシバ・
ハマヒルガオ・ケカモノハシなど4種類の種をまき、先人たちが苦労した砂防との闘いを
体験した。
新潟青年会議所では、8月30日新潟市西区の小針浜海水浴場で砂像を作りながら身近な
自然を楽しもうと「サンドクラフトinにいがた」を開催する。 
あれがマサキの砂防林 (イラストを模写)