松郷屋焼と窯めぐり

kanazu362010-08-17

旧巻町の松郷屋・平沢・稲島などの角田山麓では、幕末から
明治・大正・昭和にかけて、焼酎徳利・大徳利・御神酒徳利・
水差し・かめ・鉢・すり鉢などの日曜雑器を焼いた。
この焼き物が「松郷屋焼」といわれる。
松郷屋焼の窯跡を訪ねて8月7日松郷屋・平沢・稲島など角田山麓を散策した。
・松郷屋焼と窯元(新潟市西蒲区稲島:二村焼・8月7日)
 ・松郷屋焼
  江戸・天保年間(1830−1843)、漆山の百姓二村為八は洪水による飢餓のため、現在の福島県浪江町の相馬焼の窯場に出稼ぎに行きそこで陶法を取得し帰郷後漆山で開業した。 
  やがて三根山の殿様の目にとまり、三根山に丸山窯を築き格調高い作品を生んだが、明治の廃藩によって廃窯となった。
  だが、その陶工であった若者たちが松郷屋などで窯を開き、日曜雑器を焼きそれが松郷屋焼と呼ばれた。
  最盛期には窯元が18軒を数えたという。
  巻町の郷土資料館史料によれば、峰岡に1(三根山藩:丸山窯・藩窯)・松郷屋に8・平沢に1・稲島に1(二村利八:稲島窯)の11窯跡があると記されている。
 ・稲島窯跡
  松郷屋や平沢や峰岡を訪ねたが窯跡の話を聞くことができなかった。
  稲島集落で出会った老婆に稲島窯のことを訪ねた。
  運が良かった。
  二村スミ(77)さんは、「わが家が稲島の窯元だった二村家だ」と。
  家の前の藪を指差しながら「私が嫁に来たころここで曾爺さんが徳利や火鉢などの日曜雑器を焼いていた」と。
  資料には、稲島・二村利八:稲島窯で二村家の総本家為八の弟で3男と書かれている。
・窯めぐり
 ・濱窯(新潟市西蒲区鷲ノ木:松郷屋焼・8月7日)
  巻町鷲之木地区の県道沿いに「濱窯」がある。
  店の看板に濱窯松郷屋焼と書かれている。
  愛知県瀬戸市出身の陶芸家田中青磁さんは陶芸家の家に生まれ、30年前に妻の実家のある巻町に移り、濱窯を興し織部・黄瀬戸・御深井・うのふなどをメインとした作陶を行っている。
  「最初は下木島で10年前に現在地に越してきました。窯の名前の“濱”は、妻の名前の濱子から付けました。看板に松郷屋焼と書いてありますが昔から伝わる松郷屋焼ではありません」と。
 ・村木陶芸スタジオ(新潟市西蒲区角田浜:穴窯・8月7日)
  角田山麓の角田浜集落から少し離れた妙光寺を過ぎさらに山手に進むと村木陶芸スタジオがある。
  400坪の敷地に110坪の建物は、アルザス調の赤い瓦が目印。
  建物の裏手は樹木が削りとられたように山肌がむき出しになっている。
  ガス窯と薪窯がある。
  展示室にはカップ・茶碗・鉢・花器・皿などの作品が並ぶ。
・番外:私たちの器展(弥彦村:ギャラリー余韻・8月7日)
 弥彦村のギャラリー余韻(旧鈴木権宮司宅)で、燕市吉田の陶芸教室「駕藍堂」代表の藤野千恵子(66)さんと生徒7人の「私たちの器展」が開催されており見てきた。
 会場には約50点の器が並ぶ。
 会場の旧鈴木権宮司宅は、明治天皇が御巡幸で弥彦の地を訪れた際、供奉員として随行した明治政府の高官岩倉具視右大臣が宿泊した。
角田山麓の松郷屋・平沢・稲島集落などが幕末から明治・大正・昭和にかけて、焼酎徳利・大徳利・御神酒徳利・水差し・かめ・鉢・すり鉢などの日曜雑器を焼いていた里であったとは・・・。
今は鷲ノ木に濱窯がそして角田浜に村木陶芸スタジオがある。

この藪が窯跡 (イラストを模写)