鉄道資料館で甦る懐かしい思い出の  言葉

kanazu362010-11-25

新潟県内を走るJR電車の交流と直流が切り替わる
デットセクションのことが新聞に出ており、新潟市の新津鉄道
資料館を訪ねデットセクションやスイッチバック式の駅やアブト式
軌条など懐かしい思い出の言葉を調べた。
・デットセクション
 デッドセクションとは、電化された鉄道において、異なる電気方式や会社間の接続点に設けられる、架線に給電されていない区間・地点のこと。
 死電区間(しでんくかん)、無電区間(むでんくかん)、死区間(しくかん)、もしくは単にセクションともいう。
 資料館の「鉄道なるほど」に“電車・電気機関車までの電気の流れ”で交流・直流・交直流電気車両の3種類が説明されていた。
 発電所でつくられた電気は交流なので、直流式で運転するには、途中で交流電気を直流に変えなければならない。
 そのため、変電所で交流電気の電圧をさげながら直流電気に変えて、車両に流す。
 交流式で運転するには、変電所で電圧をさげただけでそのまま車両に流し、車両の内部で直流電気に直して使う。
 交直流車両は、交流でも直流でも運転できる。
 新潟県内では、北陸本線糸魚川―梶屋敷間と羽越本線村上駅間島駅間で見られる。 
 糸魚川―梶屋敷間を境にして西側の敦賀駅福井県)付近までが交流2万ボルトで東側の終点の直江津駅までは直流1500ボルト。
 糸魚川に勤務していた時、新潟から糸魚川までJRの北陸線に乗った。
 梶屋敷駅を過ぎると車内放送で「直流から交流に切り替えのため電気が一時消えますが故障ではありません」の放送を何回も聞いた記憶がある。
スイッチバック(折返線)式の駅
 急な傾斜面の線路の勾配を緩和するために考えられた線路の敷き方。
 勾配区間に駅がある場合、停車中にブレーキを緩めると列車が動きだす危険があり、また登り坂に向けて発車する際にはかなりの力を要し、悪天候の場合には動輪が空転して発車できないこともある。
 したがって、駅構内の線路はなるべく水平がよい。
 しかし駅構内を水平にならすと、先で勾配がもっと急になるおそれがある。
 その対策として山越えの路線で考え出されたのがスイッチバックである。
 新潟県内では、信越線の関山駅二本木駅と赤谷線の東赤谷駅にスイッチバック(折返線)があった。
 新津鉄道資料館には廃線となった東赤谷駅の構内線路図が掲示されており、係員が「ここに書かれている折返線の場所がスイッチバックするところです」と。
 小学校3年生の修学旅行で長野に行ったとき初めて関山駅二本木駅スイッチバックを知った。
 信越本線二本木駅は現在、東日本旅客鉄道JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅。
 関山駅スイッチバックが廃止された現在、二本木駅が全国でも数少なくなったスイッチバック式の駅である。
・番外:アブト式軌条
 明治26年4月1日碓氷峠の横川―軽井沢間にアブと式軌条運転開始と書かれた年表の下に、明治26年の線路に施設されていた「アブト式軌条」が展示されていた。
 アブト式鉄道は線路の中央にラックレールという歯形レールを置き、機関車の車体の下に取り付た歯車をこれと噛み合わせて走らせる登山用の鉄道で、ドイツ人のアブト氏が発明したもの。
 普通の線路の中央に三条のギャ式レールを敷設し、一方機関車には、これに噛み合って駆動する特殊な歯車を取り付け、急勾配線路を運転する装置。
 我国のアブト式鉄道としては、明治26年4月に信越本線の標高386.6mの横川駅と939.1mの軽井沢との間の上り下りする11.2kmに始めて利用された軌条。
 中学3年の東京修学旅行で汽車が碓氷峠を走ったときに初めてアブト式軌条を見た。
新津鉄道資料館でデットセクションやスイッチバック式の駅やアブト式軌条を見て懐かしい思い出の1コマが甦った。

懐かしい思い出の言葉が (イラストを模写)